英語アレルギーだったの 第5話

こんにちは。すっかりご無沙汰しておりました。ここんとこずっと、赤ちゃん教室やら予防接種やら病院やらで、あわただしい日々を送っておりました。さっそく始めましょう。

前話までのお話

第1話 出だしでつまづいた!
第2話 どこへ行っても英語がつきまとう
第3話 怖いもの知らずって怖い
第4話 とんでもないとこにきちゃったかも

第5話 右も左もわからない

初めの1年半は、医薬部外品と化粧品の処方開発のお仕事。私がいたプロジェクトチームは日本人ばかりで、チーム内のコミュニケーションは日本語だった。しかしミーティングやメール、回覧物はすべて英語。電話も英語のことがたまにあったりして、どきどき。おまけにコンピュータの環境は英語。エクセルもワードも、その当時の私には初めてだったのだが、英語のソフトで覚えた。とにかく読んだり書いたりで、日本語を使うことがゼロ%だった。

回覧物さえ読めない。どれが自分に関係あって、どれがあまり重要でないのかがわからない。メールを1通書くのさえ、すごく時間がかかる。もちろん来たメールの意味をつかむのも時間がかかった。

自分に直結する事柄から理解できるようになった

ところが自分の仕事に慣れてきた頃から、自分に密接に関係のある内容のものについては、「なんとか」理解できるようになってきた。「慣れ」だったのだと思う。

この頃、話すのは非常に遅いし、限られた表現方法しか知らなかった。聞き取ることも、30%わかればいいほうだったのではないだろうか。それでもチーム内は日本人ばかりだったので、まだ生きていけたのだと思う。

会社の英語教育がすごい

それに会社に入ってすぐに、英語教育を受けていた。まず入社後、TOEICを受けなければならなかった。一定レベルに達していない者に対しては、勤務時間内に英語のレッスンを受けることが義務付けられていた。

英語学習者にとっては、勤務時間内に、しかもレッスン料のすべてが会社負担、その上レッスン時間内もお給料が支払われるなんて、夢のようだと感じるかもしれない。しかしよく考えてみれば、そこまでして期待通りに英語が出来るようにならなければ、どうなるのか。考えるだけでも怖い。

私の初TOEICのスコアは415。わりと下のレベルのクラスから始まった。一番下のレベルではなかったものの、気持ちは初級。

英語クラスでは、同じくらいの英語レベルで他部署の方々と知り合えて、お互い英語で苦労している仲間ということで、なんとなく元気になった。職場に戻ると、気が重くなる。はじめはそんな繰り返しだった。

学生時代、英語が嫌いで嫌いでしかたなく、授業もまともに聞いていなかった。そしてこの会社の英語クラスで、英語を英語で学び始めた。ビジネスで使える英語中心で、ライティングや英語での交渉なんかも練習した。

英語の研修も豊富

1週間や2週間の英語研修に行って、研修中ずっと英語しか話さなかったり、ライティングだけの研修に参加したりもした。英語そのものを学ぶだけではなく、異文化の人たちとのコミュニケーションの方法や、英語でのプレゼンテーションの仕方、交渉術みたいなことも学んだ。おまけに女性がしっかりと会社で働いていくための研修もあった。

この会社では、英語そのものだけを学んだのではなく、上に書いた様な研修もあり、また実際の職場で様々な国籍の人たちとのコミュニケーションにより、文化の違いによる思考パターンの違い、表現方法の違いを肌で感じることができた。

と、今書いてはいるものの、はじめのうちは必死で何もわからないし、入社して何年か経つうちにもっといろいろなことも徐々にわかってきたわけで。とにかく最初の一年半、たくさんの研修を受けて、インプットしていたような感じかな。

少し慣れかかった頃に大きな変化が

当時、ミーティングはほとんどわけがわからず終わり、あとで上司に何を言っていたのか聞く、というのがいつものパターン。もちろん発言なんて出来もしないわけで。ただ、日本企業のミーティングと違い、みんなの距離が近く、議論するので眠たくはならかった(意味がわからなくても)。

そして1年ちょっとすぎた頃、あの阪神淡路大震災が。これがきっかけで私は部署を異動になり、同じR&Dでカテゴリーの違うところへ行くことになった。なんとそこは、外国人の比率が前の部署よりもかなり多く、チーム内でも英語。そしてその部署で外国人の上司にあたることになる・・・。

実はこの会社にいた6年半で、上司が何人も変わったのだが、結果的には多くが日本語の通じない外国人だった。

続き

次回はさらに過酷になっていく英語環境での苦悩と、成長をお届けします。お楽しみに。

次回の英語アレルギーだったの第6話はlink必死で生き残る!です。