英語をモノにする一番確実な方法?

今日は最近読んだ英語学習本について、私の考えを述べながら紹介したいと思います。

日本人が「英語をモノにする」一番確実な勉強法

本のタイトルは『日本人が「英語をモノにする」一番確実な勉強法』です。「一番確実」という強い言葉に、いったいどんな方法なのか?と興味が湧いてきました。「確実な」というのは、挫折しないで着実に力をつけていける、という意味であると理解しました。「挫折」。それは英語学習者にとって、もっとも恐れるべき敵なのではないでしょうか。

この本には、いったいどんな策が提案されているのかなぁ・・・すごい画期的な方法だったりして。

・・・という期待はあっさりどこかへ消えてしまいました。

教材は何を選ぶかではなく、どう使うかではないだろうか

著者は、とても努力家で真面目で熱心な方なのかもしれません。この本で提案されている挫折策は、私のような人間には全く効果がなさそうでした。この本の中に、他の英語学習本と変わらず多くの英語教材が紹介されていました。英語教材を探している人なら、参考になるかもしれません。

でも私、思うのですが、どの教材を使うかよりも、どう使うかのほうが絶対に重要だと思います。どう使うかは、その人の目標・重点の置き方によって違いますね。教材って、本来はそういうものなのではないかと。

私の場合、英語学習歴は長いのでいろいろな教材を使ったことがあります。しかし、どれも最後には「最後までやり遂げる」ことが目的になってしまい、肝心の中身が残ってない!という悲惨なことに。

計画・達成度、見える化の落とし穴

計画表とか達成度が一目でわかる表みたいなのを作っちゃうと、そういうところ(「最後までやり遂げる」ことが目的になること)に陥る傾向が強いです。私の場合はそうでした。教材中心に計画的に英語学習を進めてしまうと、そこが落とし穴かなと思うのです。

著者はまさに、達成度が一目でわかる表を提案していました。それが挫折を食い止めると。つまり、ここまでやってきたのだから、やめてしまうのはもったいない、という心理を利用するらしいです。

これは・・・両刃の剣になりうると言えそうです。学習した中身よりも、ただ計画を遂行することがメインになってしまって、中身の学習になんの魅力も感じなくなっていたら・・・。達成度というのが、何ページ、何課を終わらせるとしてしまうと、とても危険です。勉強することと、英語を使うことは別だと私は考えているからです。

英語を使う楽しさを知ることが大事

勉強した時間の何倍もの時間と量の生の英語に触れて、英語に慣れ、そして新しい英語の知識をそこで活かしながら反復していかないと、本当にモノにすることはできないのです。

この本の著者も述べていますが、英語の習得は楽チンなものではありません。一日○分でマスターできるものでもありません。けれど机に座って何千時間、何万時間かけて教材を学習するだけでは、英語を習得することはできません。英語を勉強した後、必ず英語を使う練習が必要です。使う練習とは、教材ではなくラジオや音楽を聞いたり、洋書や新聞を読んだり、英語で誰かにメールを書いたり、誰かと英語で話したりするという意味です。

勉強時間に比べてはるかに多い実践で使う練習をつまなくては、英語をモノにすることはできないと考えています。私はだからこそ、心底楽しみながら取り組まないと、挫折が待っているか、苦しい修行みたいになってしまうと思うのです。本来、英語を学びそれを使うことは、とても楽しい事なはず。だって自分の母国語以外の言語で何かを理解し、自分で言いたいことを発信できるのだから。

その行為は、今まで自分が持っていた物の見方とは全く異なる見方で、文章読んで理解したり、文章を作ったりするということ。何か新しい自分を発見したか、新しい自分が生まれたような、わくわくして自分の可能性がどんどん広がっていくような気分になれる。そういうことを感じながら英語に日々触れていけると、楽しくて挫折なんてありえない。

英語習得に対するネガティブな思い込みは、捨てるが勝ち

この本でちょっと残念だったのは、「幼児だけが持つ天才的な機能をもはやとっくに失っている大人・・・」という部分。

「もはやとっくに失っている」とは決めつけたくないです。脳はそんなものじゃないと思うし、そう信じたいのです。思い込みやあきらめが、可能性をつぶしてしまっているということを軽視してはいけないと思います。あきらめたらそこで終わり。絶対にあきらめたくない。

子ども時代のスポンジのような吸収力は、呪文(思い込み)を解くことでよみがえると信じようじゃないか!