地域と図書館のあり方について

私が図書館問題について書こうと思ったわけ

私が住んでいる福岡県行橋市では今、新図書館建設の問題で様々な意見が交わされているようです。

今まで市政にそれほど関心を持たなかった私ですが、図書館という非常に身近な事柄なだけに、関心を持っています。毎月図書館で、英語絵本の会の活動をしているし、子どもと週に1回は絵本を借りに行っているのですからね^^

けれども図書館問題に対して、私はどう考え、何をすればいいのかがさっぱりわからないというか、自分の考えの方向性を見出すことができていませんでした。

図書館建設を推進する派の意見、反対する(白紙撤回を求める)派の意見をじっくり吟味したわけではありませんでしたが、それなりに見聞きした中で、そのどちらの考えにも強い共感を抱けなかったというのが正直な気持ちでした。

自分はどんな立場に立てばよいのかわからないというのは、あまり気持ちの良いものではなかったのですが、あることをきっかけに、スーッと霧が晴れたような気持ちになりました。

そこで自分の考えを整理して、さらにすっきりとした理屈で自分を納得させるためにも、人に読んでもらうことを意識した文章を書いてみることにしました。人に見せる文章を作る作業は、頭の中で考えるだけや、誰にも見せる予定のない殴り書きよりも、ずいぶん思考が深くなります。論理矛盾を徹底して排除しようとするからですね、きっと。

私の立ち位置

私は市政の知識があるわけではないし、自分が住む市が抱える問題すら、きちんと把握していません。それがおそらく、図書館問題に対して私なりに判断することを躊躇させていたのだと思います。なぜなら図書館問題は図書館のことだけを考えればよいわけではなく、もっと広い視野で地域の暮らしについて考えなくてはならないことが多いと感じたからです。

市の予算がどうであるとか、建設や運営にいくらかかるとか、きちんと細部まで理解していたとしても、何を優先するかで結論は変わって当然ですよね。そこのところ(お金のまわり方)にも配慮しようとしていたから、自分の気持ちが固まらなかったのかなと、今は感じています。

お金のことは考えなくちゃいけないことだけれど、私にとってその部分は細かい方向性の判断材料にはなれど、図書館をどうするかの大きな判断をするためにはむしろ不要だと思いました。もちろんこの考え方は、議員さんや行政の方とは全く視点が違うことはわかっています。私は市民の一人で、図書館のヘビーユーザーであるという立場から、自分の立ち位置を決めることも大きな意味があると思いました。

議員のすること、行政のすること、一般市民のすることは違っていて当然だし、そうあるべきだと思います。一般市民はたとえればコンピューターシステムの端末部分を熟知している人々。議員や市長は、たとえればCPU。端末からの情報を集約して判断する。つまり熟知している人々の声を可能な限り取り上げて、それを何か決めるときの重要な材料として欲しいです。行政はたとえればソフトウェア。CPUからの命令が確実に端末に届くように動かす機能を備えて欲しい。つまり市民とダイレクトにやり取りが可能になるポストにいるわけなので、決定に従いながらも、そこから逸脱のないよう市民のニーズにできる限りこたえられるような柔軟な対応を考えて欲しい。

こう考えたときに、私は図書館を愛する一市民なのだから、利用者の立場として自分の意見を持てばいいと思いました。だから図書館問題に対して、市政の内容について事細かに知らなくても、発言はしてもよいのですね。頭でっかちになりすぎて、正しい判断をするために、何でもかんでも知っていなくてはならないし、意見も言えないと思い込んでいました。

行橋市がどれだけお金を持っていて、どんな使い方をしていて、福祉は教育はなどなど、知っておいたほうがよいことは確かです。けれどもそれはそれができる人がすることであって、私は端末の事情を知る者として考えを持てばよく、場合によってはしかるべき立場の人に声を届ければよいのだと、今は考えています。

図書館に対する私の考え

私が一番感心のあることは、図書館の英語絵本、それからイベントなどのスペースです。その二つが特に、今の行橋市図書館では不満だからです。

英語絵本について

英語絵本コーナーの棚の数が少ないことが不満です。先日図書館に行ったときに、閉架になっていた絵本がいくらか開架に並んでいました。英語絵本の貸し出し状況や、英語絵本の会の活動などを配慮していただき、司書の方がそうしてくださったのかもしれません。とてもありがたいと思いました。

それでも今のスペースだけでは、表に出せる英語絵本の数は蔵書数に対して非常に少ないのです。多くの英語絵本は利用者の目に触れないところに保管されています。英語の本は日本語の本とは違い、タイトルを見てもピンとこないことが多いのです。だからこそ、目に触れて自由に手に取れる場所に置いていただきたいのです。

小学校から英語を導入したり、私が活動している小学校での絵本読み聞かせサークルも、英語をやると好評です。学校での英語活動にも力を入れていると思います。それならなぜ図書館に英語絵本をたくさん置かないのか、私にはさっぱり理解できません。

英語が苦手で大嫌いだった学生時代を過ごした私だからこそ、小さいうちから英語の絵本に親しむ大切さがわかります。英語教科の勉強じゃないのです。言語としての英語なのです。英語の絵本を大人と子どもで楽しく読む姿が、あちこちであたりまえに見られる風景をずっと夢見ているし、実現をしたいと思っています。

教科書だとか、テストだとか、英会話の勉強だとか、そういうことではなく、日常に英語の絵本があたりまえにあって、割りに高い英語絵本を買う経済的ゆとりがなくても、図書館に来たら自由に見れる。そういう空間をぜひ作って欲しいです。こういう空間を作ることこそ、教育の一環として市に取り組んでいただきたいです。

そのためには英語絵本を閉架にするのはNGです。日本語の絵本なら、読みたい絵本のタイトルで検索して、閉架になっていたら窓口で出してもらったらいいのですが、英語絵本は読みたい本のタイトルがあって・・・というシチュエーションはなかなかありません。だから英語絵本はすべて開架にして欲しいのです。

昨年下関市立中央図書館へ行って、英語絵本コーナーを見てきました。館長さんが英語絵本はすべてここの棚に入っていて、閉架はありませんとおっしゃっていました。実は英語絵本の会のメンバーから、「閉架になっているたくさんの英語絵本に大変興味がある。タイトルだけ教えてもらっても、中を見なければ読みたいと思うかどうかわからない」という声を度々聞いています。

全くその通りなのです。それに手に取れる場所にあれば、それまで英語絵本に興味がなくても、何かのひょうしに手に取ることがあるかもしれません。そしてその子、その人の人生を変えてしまうかもしれません。私が書店で何の気なしに手にした本で、人生が変わったのと同じように。

そして行橋市の図書館には、もっともっと英語絵本の蔵書を増やして欲しいのです。隣町からも「ここならある」と思って、足を運んでもらえる図書館が理想です。行橋では英語絵本の会があり、行橋市内だけではなく豊前市、苅田町、北九州市からも活動に参加するために集まってくれています。英語絵本を増やしていただけるのなら、私達英語絵本の会が選書をすることもできます。なんといっても英語絵本が好きで集まっているのですから、きっと素晴らしい選書が可能だと思います。そういう部分で、図書館と市民が協働して図書館を盛り上げることが可能になりますね。

イベントスペース

私達が主に使う目的は、絵本の読み聞かせです。今は行橋市図書館の赤ちゃん絵本コーナーを使わせていただいています。

絵本に囲まれていて、まぁよい環境ではあるのですが、普段はオープンスペースで読み聞かせ会をするときだけ、折りたたんでいたパーティションを広げます。

問題点がいくつかあります。まず一つ目は、パーティションを広げたり折りたたんだりするときに、騒がしくなります。それから意外とパーティション設置が大変で、それなりに経験して慣れなければ設置ができません。さっと開始できなくて、準備に時間がかかることも問題です。

あと一つは、あまり大きな声が出せないこと。薄いパーティションで区切っているだけなので、静かに読みきかせをしなくてはなりません。そのような絵本を選んだり、そのような読み方をすればよいのでしょうけれど、英語ですから、ときには身体を使って足をドンドンさせたり、笑ったり、大きな声を出して感情表現したり、元気よく歌ったりしたいのです。

今の読み聞かせスペースでは制約があるために、自由な発想で英語絵本の読み聞かせ会を行うことができません。英語だからこそ、多少オーバーに感情表現をしたほうがいいことが多々あります。身体を動かして言葉と動きをつないだりすることも、英語に親しむためにはとても有効だと思います。

外国語は始めは声に出すことを躊躇することが多いですが、歌なら違ってきます。歌のほうが声に出しやすいのだと思います。私達は英語教室をしているのではなく、あくまで英語を楽しむことを目的にしていますが、楽しんでもらうためには「わかる」という体験は必要だと思います。だからこそ、思い切り表現できる空間が欲しいと思います。

結論

私の図書館利用は、絵本が中心です。特に理解がなかなか得られない英語絵本に対しては、ひときわ強い思いがあります。したがって私の立場は、英語絵本の充実に偏っていると思います。それが私であり、私だからこそ意見できる事柄です。

日本語なので結論を最後に持ってきましたが(笑)、図書館問題、私は新しく建設、または白紙撤回どちらでもなく、「市民のためのよりよい図書館作り」にお金と時間を使って欲しいです。

なぜ白紙撤回に賛成しないかというと、白紙にしてしまうと「建設はしない」でひと段落しますよね。そこから「よりよい図書館を考えよう!」となると、エネルギーが必要です。この意見に賛同している人の中には、図書館は今のままで十分、それよりも市のお金をもっと他に使うべきという立場の方がいらっしゃると思います。

限りある予算ですからどこへもって行くかは議論すべきことなのですが、「まずは白紙撤回」という立場に、どうしても納得できませんでした。下手をすれば図書館は今のままの可能性だってあるのですから。私も考える力はあるので、建設へどんどん進む力を止めるために、まずは撤回を!ということで共通する部分で集結して建設派に対抗する考えは理解できます。

それでも私は始めから図書館を変えるという方向性を、はっきり持っていたいのです。それは新図書館建設なのか、今の図書館の増改築なのか、それはわかりません。とにかく今の図書館のスペースでは足りないのは明白です。

あとひとつ言わせてもらえば、図書館のオートメーション化など、最新装備が利用者・職員のための図書館ではないと思います。まずは利用者の声を聞いてもらいたいし、そのためには利用者は声に出さなくてはなりません。声に出せる場を、公の場を、自由に発言できる場を、行橋市に用意してもらいたいと願います。

図書館を変えたい!もっと利用者が満足できる図書館に。図書館に集まりたいと思える場所に。図書館が英知と人を結び付けてくれる場に。出逢いで笑顔が生まれる場所に。そんな図書館が私の理想です。

最後にもう一声。図書館は本を借りるだけの所じゃないです。人と人が出会う場でもあります。交流で知を深め、人生を深める場でもあります。無限の可能性を持った子ども達にとっては、彼らの終わりなき好奇心に付き合ってくれる場でもあります。人を育てるところ、人を大事にするところ、それが図書館なのではないでしょうか。

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コメント

  1. 光畑眞哲士 より:

    現在の行橋市図書館の開館は1990年 あれから27年 四半世紀です。その当時、ローカウンターとか、バーコードの電算貸出システムは珍しかったでしょうね。今になると当然のことながら、各コーナーの使い勝手は変化します。しかし、変わらないこと、それは市民のための図書館です。最後にもう一声は全く同感です。理想の図書館は、建物だけではないこと、もっと論議した上で図書館建設を進めることが大事だと思います。このような議論が少なかったことも事実です。

    • waremoko より:

      光畑さん、コメントありがとうございます。
      昔の図書館は、小学校の図書館のカウンターですら目線の上だったことをかすかに覚えています。
      バーコードではなく、貸し出しカード。そんな時代からすれば、自動貸出機なんてすごい進歩ですね。技術が進むことは喜ばしいし、益々便利になるけれど、それだけを求めているわけではない、というのが利用者の声かなという気がします。
      利用者の満足感があって、初めて「宝」となるのだということを、一番に考えたいと思います。まだまだ図書館のことを知らない私ですが、考えるきっかけをくださった光畑さんに感謝します。これからもいろんなこと、ご指導ください^-^

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