童話の世界と家庭と子ども

久しぶりに和書について書きます。

ラプンツェルをきっかけに、グリム童話を紐解いてみた

最近読んだ本は、『初版 グリム童話集1』

それから『本当は恐ろしい グリム童話』と、

『本当は恐ろしい グリム童話Ⅱ』の計3冊。

この間『Tangled』を読んで、グリム童話がずっと気になっていました。

ディズニーの『塔の上のラプンツェル』は、上の画像にあるように、英語は『Tangled』というタイトル。ディズニーの中のラプンツェルは、かなりラブリー。Tangled紹介記事はlink『塔の上のラプンツェル』背筋が凍る原作?!

このディズニーの『塔の上のラプンツェル』というお話は、実はグリム童話が元になっています。ちょっとググってみたら、グリム童話のTangled(タイトルは『ラプンツェル』)がかなりえぐい内容であるという情報が引っかかってきまして。興味津々になってしまった私は、初版グリム童話と、『本当は恐ろしい グリム童話』というタイトルの本を見つけて、読んでみたのです。先入観を持たないために、まずは大元の初版グリム童話の『ラプンツェル』を読みました。

ラプンツェルは本当にえぐい物語なのか?

感想は・・・ふむふむ。短いストーリーだけど、キャッチした情報とはさほど遠くはない。けれどもネットで見たえぐいと感じるほどの描写はありませんでした。続いて『本当は恐ろしい・・・』というタイトルの本を手に取り、読んでみました。感想は・・・結構どぎついやん。っていうか、原作にない部分がたくさんあって、その原作にない部分がえぐいんやん。

あ~・・・(ここで気づく)なんかこれって、グリム童話をネタに売れそうな本を作ったって感じの本なんかな。簡単に私が感じたことを書くと、初版グリム童話は確かに現在あるグリム童話よりも残酷な部分はあります。でも、『本当は恐ろしい・・・』のほうで書かれているラプンツェルのお話は、分かりやすく表現すると、飾り気ない文章の不明瞭な部分を、大人のいやらしい心、醜い心で考えて、言葉を足したという感じ。

子どもへの影響は?

百歩譲って、粗削りでそっけない表現であるために不鮮明になっている部分を、大人が理論的に人物の心理を読んで不足部分を補ったものであり、それが多くの大人にとって、納得のいく話であったとしても、子どもはそんな風には絶対に受け止めない。子どもって、言葉足らずでも上手いこと想像力を膨らませるものですよね。その想像って、大人の想像よりも清らかで無垢です。例えば初版グリム童話では、ラプンツェルの洋服がきつくなったという表現があって、改版されて別の無難な表現に変えられました。

変えた(変えさせられた)理由は、洋服がきつくなるという部分が妊娠を暗示させるということで、子どもと家庭の昔話にはふさわしくないということでした。でも・・・これは私の意見ですが、「ええやん」。何が悪いのかなと思いました。だって、家庭で普通にお母さんがお腹大きくなってきて、赤ちゃん産んでっていう場面あるでしょうに。

いや、ラプンツェルの場合、その男性と結婚していないのが問題だって大人は言うかもしれないけれど、小さい子どもってそんな風には考えないと思うけど。(私の個人的意見です。)そんな風に考えるのは、大人だからだと思う。もしも子どもが、「結婚していないのに?」と言うことがあったとしても、そこで大人がモラルを説けばいいわけであって。周囲がどんなに深く考えて環境を整えようと、結局は子どもは一番身近にいる大人に学ぶのだと思います。残酷なお話や、ぎょっとするお話も、慈悲や道徳の話しをするきっかけとして持てばいいのではないかな~と感じました。

そういう意味では、子どもに接する大人は重大な責任を負っていることを十分自覚すべきなのでしょうね。あ、それで『本当は恐ろしい・・・』の2冊は、あまりにも話しの内容がえぐかったため、2話読んでうんざりしてしまい、読むのをやめました(笑)。あ、もう一つ。ヘンゼルとグレーテルを読みましたが、初版では森に子どもを捨てたのは実母でした。それが改版されて、継母に。私はどっちかっていうと、継母が子どもを捨てるというほうが怖い気がします。実母だと、読み手は心のどこかで、子どもを捨てるなんて、本当に食べ物がなくて追い込まれていたんだな、きっと何か事情があったんだろうって思えます。たぶん根底に愛があるのではないかと、願ってしまうからかもしれません。でもこれが継母になると、愛の存在が不確かになる。そんな風に感じました。

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