私の英語と多読の歴史

こんにちは。ブログの管理人、「われもこ」こと木村あゆみです。今回は私の多読と英語について少し書いてみたいと思います。

英語嫌いだった頃の話

ブログを始めたのは2005年です。きっかけは洋書の多読を始めたことでした。当時は相当強い英語コンプレックス持ちで、洋書なんて絵本ですらまともに読めませんでした。
どれぐらい英語ができなかったか、ざっくりと説明します。

学生時代の英語の成績はひどいもので、学内の試験は丸暗記、答案用紙に書いた瞬間にきれいさっぱり忘れていくタイプでした。模擬試験の英語はまるで暗号のように見えました。わかる問題は1問もない状態です。英語が大嫌いで、全く勉強しませんでした。高校3年の受験期になっても、その姿勢は変わりませんでした。

転機がおとずれたのは・・・(英語好きへの第一歩)

人生初の海外旅行は24歳の時。ケニアへ行きました。その時に英語がわからないというだけで、かなり損した気分になりました。片言どころか、な~んにもわからないのです。かなり恥ずかしかったし、英語が少しでもわかればもっと楽しめただろうと思い、帰国後すぐに英会話スクール通いを始めました。だんだん面白くなってきて、英検3級も取得。25歳のときでした。

あまりにも英語ができないと、英語ができるとはどういうレベルかもわからないのですね。私は恐ろしいことに、英検3級取得後、外資系企業に転職して英語を使って仕事をしたいと思うようになりました。怖いもの知らずとは、その当時の私のことです。
私は実家から近い神戸にあるP&Gの中途採用の求人広告に応募しました。そして何を間違ったのか、採用試験に受かってしまいました。初出社の日、私が真っ青になったことはここに書くまでもありません。正直言って、私レベルの英語力では仕事ができませんでした。幸い、化粧品関係の技術者として雇われましたから、始めはラボワークメインだったので、まだ救われました。

それでもラボノートは英語で書かねばなりません。この会社に、部署移動はありましたが合計7年近くいました。それぐらいになれば、自分の関わる仕事に関しては、聞いたり話したり、読んだり書いたりはできるようになっていました。けれども仕事以外で英語に関わることは全くなく、日常レベルの英語運用力は昔とあまり変わりませんでした。

洋書多読が英語負け組の私の人生を変えた。

P&Gに転職した動機は、英語を使って仕事がしたかったからですが、周りの英語に圧倒されて、結局英語コンプレックス、英語劣等感がますます強いものになってしまいました。
そんな私に再び転機が訪れました。転機という生易しいものではなく、人生が激変したといっていいでしょう。それは洋書多読との出会いでした。

この時、P&Gは退社していました。会社を辞めると同時に、私の周りに英語は全く存在しなくなり、ほっとしていました。でもあるときフト、「英語ができないなりにも仕事でつたない英語を使って7年もやってきたではないか、もったいなくない?」と思ったのです。

それでも英語の勉強はやってもできないとわかっていたので、どうしたものかと長い間悶々としていました。出会いは突然やってきました。本屋さんを当てもなくぶらぶらしていたときに、パッと視野に飛び込んできた『100万語多読入門』

生まれて初めて「ビビビ」ときました。直感? 速攻買うと決めて、家に帰ってすぐに読みました。その瞬間から、私の多読生活が始まりました。2005年から今日までずーっと続いているほど面白くて、私を虜にしている洋書多読。英語コンプレックスもいつの間にか消え、英語を学ぶ楽しさを教える仕事を始め、本を出版しました。

これからは今運営している本サイト「Just the way I am.」と多読用におすすめの洋書をたくさん紹介している「洋書で英語を学ぶ」を充実させていき、いろんな書きもののお仕事をしていきたいと思います。11月1日から月1回程度、朝日新聞の地方版(京築版)で、全5回のコラムの執筆が決まっています。今後は書籍に限らず、いろんな形で英語の楽しさを伝えていく活動をしていきます。