今回は子育中にありがちな、自分の行き場のないイライラした感情について考察してみました。
ゆるせると朗らかになれる
今朝、うれしい気付きを得ました。真の「ゆるす」ことが、理屈ではなく、気持ちでわかりました。生活の中で、あらゆる場面で求められる「ゆるす」気持ち。
「なぜこの人はいつも○○なのか!」と腹を立てる(外に発信する)より、少し自分の中で自分の気持ちに向き合ってみることが大事だと思います。自分が本当は何に対して怒りの感情を持っているのかをよく考えると、自分と相手を含めた自分の周りが見えてきます。
「ゆるす」のは夫や子どもやその他の人々に対してなのはもちろんのこと、自分をゆるすことも忘れてはいけない大事なことですね。さらにいうと、ゆるすことが必要なのって、ほぼ自分自身だったりします。
それはなぜかというと、誰かと対立したりイライラして怒ったとしても、その大元は自分の気持ち。その自分のネガティブな気持ちや感情を、真正面から受け止めてうまくコントロールできるようになれば、イライラから解き放たれ、朗らかになるのではないでしょうか。「ゆるす」ことは、気持ちをうまくコントロールするためにはなくてはならないもののような気がします。
過度の期待がイライラを増幅させる
これまでの私は、何か自分の思い通りに事が運ばないとき、よく苛立っていました。顔で笑って、優しい声で話していても、心の中は穏やかではない。恥ずかしいことによくありました、そういうことが。
これが自分の子どもや夫に対するとき、我慢の限界は相当に早くやってきます。
よく育児本などで見かける言葉、あるじゃないですか。「子どもに過度の期待をするからイライラする」とか。夫に対しても同じことがあります。
たとえば夫が休日で家にいるのに、子どもがぎゃーぎゃー泣いたり、駄々をこねているときに、夫が面倒みてくれないとき。私は家のことで忙しくて、手が離せないのに~も~キー!(怒)みたいな場面、ありませんか?
そういうとき、決まって自分の本当の感情以上の怒りで子どもに怒っているんですよ。
この心理は、夫に気が付いてほしい、というサイン。これって、自分にも子どもにも絶対に良くない・・・ってわかっているのに、そうなってしまう自分。
それがですよ。今朝、またバッタバタの忙しいときに、まるで突然悟りを開いたかのような境地になったぁ!!ぽこすけが何やらぎゃ~ぎゃ~言ってるけど、全くイライラしない自分。
旦那さんは朝の支度中。彼は朝のトイレが異常に長い。「なんで40分もこもっとんねんっ!こらぁっ!でてこ~い!」みたいな気持ちを、ぽこすけに・・・何の関係もないぽこすけによくぶつけていたのです。
過度に期待しないことが相手を尊重することにつながる
でも今日は全くイライラしない^^ぎゃ~ぎゃ~言おうが、ちんたらご飯食べようが、全く(-人ー 平常心)。
「食べてね~^^とか言いながら、ぽこすけがやる気出そうなことをしたり言ったり、見せたりしつつ、家の用事もさっさと片付ける。
なんとそこには、夫に頼らない自分がいました。夫に期待しない自分が。
期待しないとか、頼らないとか言っても、「もうあんたなんか知らん!プン!」というのではなく、夫をいたわっている自分がいました。
子どもにも、夫にも、優しさといたわりの心を持てた私。戦場と化したこのくそ忙しい朝の時間に、そんな心境になれてる自分に驚きました。
相手の反応は自分の言動の鏡であることを忘れない
夫婦の関係も、親子の関係も、真の信頼と絆と愛を築くことは、自分以外の他者とうまくやることではなく、結局は自分の気持ちとうまくやっていけるということなんだな、と実感しました。
よく人を変えようとするな、自分を変えろ、と言いますよね。それは人の反応は、自分のしたことの鏡だから。自分の言動が変われば、相手の言動も変わる。そういうことですね。
怒りは悪い感情ではない。悲しみも悪い感情ではない。
それをどう自分が料理して、表に出すか。自分だけを基準に判断してはダメ。相手の気持ちを考えながら。自分も相手もいつも同じ精神状態ではない。それを敏感に感じ取れるセンス。それは努力じゃない。がんばってできることじゃないんだね。
自然にできるよう、自分の心を高めていくこと。それが自分の喜びであり、他者の喜びなのですね。誰か一人だけが幸せになってるなんて、ありえない。それはどこか病んでるよ。
健全な幸せ。健全な喜び。それをまず、家庭の中に築こう。そう思いました