先日から、本の出版ネタばかりで恐縮です。でも今から書くことは、本だけではなく、いろんな場面でも使える考え方だと思います。
私にもいろいろ野望がありまして。夫が仕事で家に居る時間が少なく、ほとんど単身赴任の夫を持つワーキングマザーのようで、ほんま、時間ないのです。
忙しさを理由に、夢をあきらめる必要性はどこにもない
その上うさぎのなのはっちが寝たきりになりまして、自力で水もご飯も食べられないため、食事をさせたり毛づくろいをしたりという介護も加わり、さらに忙しくなりました。
うさぎは肉食動物と違って、一日2食ではないですし、絶食とかしちゃうと死ぬ動物なので、大変です。普段は3-4時間おきに、長くても5-6時間は間を空けずにご飯をあげています。それも身体を支えたり、抱っこしたりして、食べきるまで、介助が必要なのです。
でも忙しさを理由に、できるはずのことを諦めることは絶対にしたくないので、いろいろ知恵を絞っています。悲観的になろうと思えば、いくらでもなれます。でも、そういう人生は選びたくない。希望と夢を持って、楽しく暮らしたい。
忙しいことは、やりたいこと(夢の実現)をあきらめる理由にすべきではないのです。成功者と言われる人々は、時間が十分にあった人ではないと思います。むしろ逆で、多忙な人が多いのではないでしょうか。
だから知恵を絞って、どうにかできる道を切り開く。頭を使うのはタダだから。お金なくてもできるしね~
そういうわけで、前回ちょろっと書いた、コネなし、実績なし、無名でも商業出版にこぎつけた私が、大事だと思った3つのことについて、説明します。
夢をかなえるために、私が必要だと思う3つの考え方
1.絶対に実現するという揺るぎない決意。
できるかどうか自信がないと思うのなら、その時点でもう無理。(な状態に自分で追い込んでいる)このネタで出版できないなんておかしいと思えるほど、類書を読んで研究してみるのです。
出版社は「売れる本」が出したい。これがすべて。だから自分の手持ちネタの何が「売れそう」なのかを徹底的に考える。売れる理由はすべて客観的に。主観的な理由は売れる理由にはならない。独自性。新規性は絶対に必要。
「一見ありがちだし」と思う自分のネタでも、視点を少しずらしてみると、独自性・新規性は見つけられる。ここが頭の使いどころ。
2.四六時中、どのようにして出版するかを考える。
四六時中というのは、ちょっと誤解を招きそうですが、常に頭の片隅において置くことです。寝るときにも考えていて、それに関する夢を見るぐらいに。そして頭の中に「出版する」という「予定」を貼りだすようなイメージです。もう決まってることとして。そうすると、脳みそはその決まっていることを実行に移すために意識下でもいろいろ働くようになるのです。意識的にずっと出版のことを考え続けるなんて、そんな暇人なことできません。普通は。
だから自分に宣言するというか、もう決めちゃったから、という意識でいると、自分は意識しなくても脳はそのことを意識下に置いていて、出版に関する情報を拾いやすくなったり、他のことをしているときにいいアイデアを閃いたりしちゃうのです。
脳の能力ってすごいと思う。軽く見ないで最大限に活用しよう。
3.企画書を練る。
企画書は手を抜いて書いていたのでは、まず採用されない。真剣に考え抜いて書いていると、気迫がこもると思います。笑ってしまいそうですが、でもやっぱり伝わると思う。忙しくて企画を練る時間ない、なんて思った時点でもう無理(な状態に自分で追い込んでいる)。どんなに忙しくても、今取り組んでいるその仕事に、脳を100%使っているわけではない。むしろ、他のことをしているときの方が閃きが多い気さえします。忙しいときほど、いいアイデアが浮かぶのです。だからいつもメモが取れるよう、紙と鉛筆を手の届くところへ置いておくことは意外と大事。後でと思っていると、絶対と言っていいほど忘れます。作業を止めてまで書き留めたアイデア、じっくり考え直してみるとやっぱり駄目だということは多い。>それで嫌になるのなら、出版は無理(な状態に自分で追い込んでいる)没になったアイデアも、視点を変えたり他のアイデアと合わせたりして使えそうなものに生まれ変わるときがある。それに没になったアイデアが元になって、新たなアイデアが生まれるときもある。
とにかく頭を使う。脳は使えば使うほど、よく働くようになるそうですよ。
「そんなのムリムリ」という周りの言葉を信じたら、本当に無理になってまうので注意
それからついでになりますが、出版セミナーとかあるじゃないですか。そういうのに参加しなくちゃ出版できない、なんてことはないと思います。私は一度も参加したことないです。
無名で商業出版は難しいよ~という人の言うことは、できるだけ信じないようにしたほうがいいです。自分を信じましょう。自分を信じるということは、その後起こること全てに責任を負うということでもあります。
本当は難しいことだと思います。でもそれは、あまり例がないからでしょ。自分もその多くの例にならう必要ないじゃない。信じる力は大きいです。同じ限られた時間を過ごすなら、精いっぱいのことをやり切って終わりたいですからね。
人生後半に差し掛かり(? 多分)、そんな心境になっているわれもこです。
いつ死んでも後悔しないと思える生き方、考え方をしたいと思いながら日々、暮らしています。