英語アレルギーだったの 第2話

こんにちは。これといってネタもなく、読んだ本で「これ紹介したい」って本もなかったので、前回の続きを書くことにしました。

前話までのお話

第1話 出だしでつまづいた!

第2話 どこへ行っても英語がつきまとう

学校を卒業して、就職した。初めは医療系の専門学校を出て、社会人になった。やはり専門学校でも英語があって、なんとか友人に助けてもらいながら単位をとった。もう英語に関わりたくない。

就職先は日本の会社。もともとは繊維の会社だったが、医薬品や医療用具も作っていて、私はその部署の研究所に配属になった。一年目、仕事に慣れてき始めたとき、上司が私に研究テーマを与えてくれた。そして上司は、これを読んでみたらいいよと、ポンと書類を私の机の上に置いた。見るとそれは英語の論文だった。

全く英語ができない人は、辞書は何の役にも立たない

やばいと思った。本当にやばいと。読めないし。でも!これは仕事の一部で、読んでおいたほうが絶対いいに決まってる。そしてひさびさに英和辞書片手に、読もうとした。しかし英文一行にいくつも知らない単語が!もう片っ端から辞書で調べ、意味をつかもうとしたが全くわからず、しまいには見たことある単語まで、辞書で意味を調べ尽くした。

もうほとんどすべての単語を調べつくしたような感じになった。それでも意味がつかめない。このパズルを解こうと、どんなに頭をひねってみても、全くわからなかった。

情けない話1 訳してもらう

あるとき、上司からチェックが入った。「読めた?」と。何回か聞かれて、もうだめだと思い、私は正直に全くわからないと白状した。上司が一緒に見てくれて、大体の意味を教えてもらったような記憶がある。

もう英語とおさらばできると思っていたが、そうはいかなかった。情けなかった。

情けない話2 英語を話すのがいやで友人に泣きついた

そしてその後、初めての海外旅行に行くことになった。私が長年夢見ていた東アフリカ。2週間の休暇をとり、ツアーに参加した。ツアーだから英語できなくても大丈夫。なぜだかそう思っていた。

行ってみると、確かに添乗員さんもいて、英語がわからなくてもなんとかなった。しかしハプニングが。ロッジの部屋のドアの鍵を部屋に置いたまま、ドアを閉めて外に出てしまい、中に入れなくなったのだ。

フロントに言いに行って、開けてもらわなくてはいけない。どうしよう。そこで、一緒に行こうと誘った同室だった人に任せることに。するとその人も英語がニガテでいやだという。さらに自分はアフリカについて来ただけだから、私が行けという。

もう怖くて怖くて、結局泣きながら頼んで、その人に行ってもらった。私は帰国後、あんなにあこがれていたアフリカに行って、現地の人とも話すことなく、ロッジでの一件でも情けないことになり、落ち込んでいた。英語が話せたら、もっともっと面白い旅になっていたのに!

今なら思う。英語が全然話せなくても、「Key」「Room」(←さすがにこれらの単語は日本語のキー、ルームと同じなので、しらんかったはずはない 笑)などと繰り返して、後は身振り手振りでやればいいだけのこと。人々も朗らかだし、笑って楽しい思い出になったはずなのに、なんて愚かな悲観主義の私だったんだろうと思う。

そんなことがあり、さすがの私も観念して、「英語が話せるようになろう」 そう決心した。

次回へ続く

次回の英語アレルギーだったの第3話はlink怖いもの知らずって怖いです。