私は洋書(英語)を読むのが趣味です。これまで読んだ、いろいろな洋書をこのブログで紹介してきました。今日から不定期に、なぜ英語アレルギーだった私が、洋書を読めるようになったのかというのを、連載で綴っていきたいと思います。
第1話 出だしでつまづいた!
中学1年生の春。私ははじめての英語の授業にときめいていた。「外国語だって~!すごい~♪ちゃんと勉強したらしゃべれるようになるのかな?」 本当に楽しみにしていた。
はじめての授業は確か、アルファベットを習ったり、簡単な英単語を習ったような気がする。
2回目の授業で悲劇が
そして2回目の授業。先生は初めに、昨日の宿題をやってきたかの確認をし始めた。私は「しまった!忘れてたよ~どーしよー・・・」忘れた者は立ちなさいと言われ、恐る恐る立ち上がった。
先生は私を怖い目でにらみ、一言。「今からこんなんじゃあ、あなたは落ちこぼれます!」そして教室の後ろに立たされた。
私は小学校からまじめな生徒だった。先生に怒られることなどめったになかった。ただ忘れっぽかったのは、今も昔も変わらない。その当時の私にとって、先生に怒られ、後ろに立たされることは耐えがたい屈辱と恥だった。(今なら特にどうってことないと思える神経を持っているのだが 笑)
中1夏にはすでに落ちこぼれ
そして先生の言うとおり、素直すぎる私は落ちこぼれになった。中学1年の夏休み前には、英語の授業がちんぷんかんぷんになっていた。2回目の授業で言われた先生の言葉がショックで、苦手意識が植え付けられたようだった。
その後の私の英語への姿勢といえば、定期試験のときには赤点を取りたくないために、教科書の英文と授業で和訳した和文をセットで丸暗記。なんとか紙に答案を書き、その場をしのいでいた。家に帰る頃には、もうほとんど何も頭には残っていなかった。短期記憶に留めるだけの作業を延々繰り返していたのだった。
まさに苦行。これでは英語を面白いと思うはずもなく、みんなとはどんどん引き離されてしまっていた。高校へ進学しても、英語の授業にはついていけなかった。初めて居眠りをしたのは英語の授業。高校の授業での居眠りは、英語のグラマーの時間と決まっていた。
もうその頃から、社会にでたら絶対に英語には関わりたくない。絶対に関わらない。関わらずに済むところへ就職しよう。そう決心していた。
次回へ続く。
次回の英語アレルギーだったの第2話はどこへ行っても英語がつきまとうです。