納得☆まっとうな本 「話せる」英語!

英語学習に悩むすべての人に役に立ちそうな、とてもまともなことを書いている本を見つけてうれしくなったので、ここで紹介したいと思います。

英語を学ぶ人・教える人のために「話せる」のメカニズム

本のタイトルは『英語を学ぶ人・教える人のために「話せる」のメカニズム』。この本はとても良かったです。欠点を挙げるとすれば、ちょっと難しい専門用語が使われていることぐらいでしょう。

著者は第2言語習得研究が専門ですが、この本は専門家向けに書かれたものではなく、一般の人向けです。それにも関わらず、ちょっと難し目なので、読む人を選びます。中身はとてもいいのですけどね。

私がこの本をおすすめする人は、英語を教える立場にある人や、真剣に英語を勉強したいと思っている人かな~。内容は盛り沢山なのですが、簡単に紹介します。

英語を「話せる」ようになるためには、何をどうすればよいか。この問いに対する明確な答えはありません。この本の良いところ、私が気に入ったところは、わかっていないこと(データがないこと)については、それを正直に書いているところ。これまでの研究・実験でデータとして明らかに示された事実は、事実として書いていることです。そしてそのデータを誇張したり、広げて解釈していないところです。

本の中には、今第2言語研究の分野でわかっていることと、わからないことが書かれています。この記事では分かっていることを中心に紹介します。

英語に触れる時間が足りてない?!

英語を「話せる」ためには、時間が必要!特に母語を日本語とする私たちにとって、英語は言語的な距離がある(遠い)こと、そしてココ日本では、英語との接触頻度が非常に少ないことを指摘し、英語の習得には特に時間を要する、というのです。著者がイギリスで英語を教えていた時、ドイツ人が英語を習得するのに400時間、日本人は1500時間を要するということをよく耳にしたそうです。

で、実際どうかというと、中学高校の3年間で英語の授業時間は、550~950時間だそうです。英会話教室で1回1時間のレッスンを週2回受けたとして、3年通うと300時間です。これだけでは全然足りてませんよね。ペラペラになるなんて、まずないんじゃないですか~・・・。

実際通っていた方、通っている方、どう思われますか?私は多読を7年近くやっていますが、まだ400万語も読んでいません。この7年で多読だけにかけた時間はというと、概算ですが、たったの500時間です。英語に触れている時間は多読だけではないのですが、私も少ないですね。

私のこれまでの蓄積(概算)で言うと・・・
中学高校大学で600時間
英会話学校時代に200時間、
外資系企業では10000時間
多読で500時間

すると、合計11300時間も?!仕事の一部である翻訳、ほとんど趣味の資格勉強(TOEICや英検)とか、多読以外で漫然と英語読んだりするのは含めていません。

私はス、スタートが特に悪かったんで、ま、まぁこんなもんでしょう・・・ゴホゴホ・・・

これは余談として、とにかく日本人は英語に触れる時間が少なすぎると。やはりここでも「そんな甘いもんちゃう」ということが書かれていましたよ。

英語との接触頻度で考えてみると、シンガポールやフィリピンを見てみるとわかりやすいですね。

ちなみに英語の授業時間でいうと、ドイツは日本の1.3倍、オランダは3倍だそうです。

話せる英語のための、文法の正しい位置づけ

文法についても書いていました。今日本で文法の学習と言えば、明示的文法知識をつけること。そして試験ではそれを試すものばかりです。明示的文法知識というのは、平たく言えば文法の問題集に載っている問題の、穴埋めとか空欄を埋めれるようになる知識のこと。(不正確な説明と思いますが、わかりやすさ優先で。すみません。)

こういう明示的文法知識があるからといって、英語を「話せる」ようになる、英語を使えるようになるとは言えないのです。ネイティブが身に付けている文法知識は、明示的文法知識とは違っています。私たちの母語を考えてみればわかると思います。例えば日本語の文法を説明できないとしても、文法を知らないわけではないですね。「学校へ行く」の「へ」。なぜ「の」じゃないのか。そういう説明はできるようなできないような。でも知らないわけじゃないですよね。ネイティブのそういう感覚を持つのと持たないのとの違いは何かというと、「量」です。その言語に触れる「量」。

だから文法知識があるないで、英語が「話せる」「使える」ということは断言できないのですね。ただ、文法学習により、明示的文法知識を身に付けていることで、習得が速くなることは事実のようですね。これはまた後ほど触れましょう。

インプットとアウトプットの重要性

次に英語を「使う」ということについて。

英語が「使える」ようになるために、何が必要と言われているか。インプットとアウトプットと言われているようです。この中でもインプット重視とか、アウトプット重視とか、いろいろ意見はあるようですが。

でももっと知っておいたほうがいいことがあります。それは、英語が「使える」ようになるためにはインプット+気づきが必要ということです。なぜここはこういう単語を使うのか、こういう表現を使うのか、その「なぜ」に気づくことだと思うのです。

で、インプットだけでも気づきは得られます。多読だけしていても、いろんな気づきが得られますから。しかしアウトプットすることで、「気づき」が促されるのです。アウトプットは「気づき」を促す役割をするのです。そう考えると、インプットとアウトプットは大事ですね。でもインプットなくてはアウトプットで「気づき」は得られません。

英語を話して思いを伝える必要性が大事

英語が「使える」ようになるためには、インプットとアウトプットだけではまだ不十分なのだそうです。何が必要かというと、「必要性」です。この本にはインタラクションについて書かれていました。インタラクションとは、人と人が言葉を介して意思を伝え合うことです。

英語を「使える」ようになるためには、英語を使って自分の意思を相手に伝える必要性が必要。例えば学校などでよくある練習問題。使うフレーズ、単語、シチュエーションが与えられていて、それを使って会話する練習、ありますよね。

そういうことをやっても、注意は使う言葉やフレーズ、文の形式に傾くので、もはや英語を「使って」意思を伝えようという練習ではないのですね。つまり学校等でよく会話練習として行われている、フレーズを使って話してみる練習、あれはインタラクションとは別物ということです。

私は学生のときそれを感じました。いくら練習しても、それはただ、形式にのっとって話しているだけ。英語を「使う」というのは、自分の言いたいことを、相手に対して自分が選んだ言葉で伝えること。言葉があらかじめ与えられていても、そのバックグランドを知りません。Johnとか言われたって、どんな人柄かもわからないし。自分で考えて発言する場面がほとんどないということです。

そういう練習だけでは自分のいいたことを言う練習にはならない。ということは、「使える」ようにはならなってことか・・・。自分の発する言葉に実感がなくては、「使う」練習にはならないというのは、納得できます。

文法は悪ではない 悪は英語を使わないこと

結局は英語を「話す」ためには、ただ文法学習するだけではダメで、もっと英語に接触する機会を増やさなければいけないということです。

誤解しないでいただきたいことは、英語の伸びを阻害しているのは、文法学習ではなく、英語を「使わない」ことです。実際に使わないで、机で文法学習ばかりしていても伸びない、ということです。そして著者は文法を「気にする」ことも必要と言っています。注意すべきは、「気にする」ことは大事だけど、失敗を恐れて使わないのはダメ。「気にする」ことで「気づき」を得るようにすると、いいそうです。

たくさんの英語に触れて、英語を「使う」ことにより、文法学習が活きてくる。つまり習得が速くなるということです。逆の言い方をすれば、文法学習ばかりしていて、英語に触れたり実際に「使う」ことをしなければ、英語の習得は難しいということです。

なかなか読み応えのある1冊でした。他にも面白いことがたくさん書いてあったのですが、書ききれません。ご興味のある方は、お手にとってご覧ください。難しいので、覚悟して読んでくださいね。