「がんばらない」本当の理由

私はいつも、「英語は勉強しない」、「がんばらない」、「英語を楽しみながら身につける」と言っています。それは自分が元々英語嫌いで、英語アレルギーで、強い英語劣等感を持っていたから。
というのもあるけれど、真の意味はここにあるのではないのです。「がんばらない」とは、私なりの言い方、私なりの特別な意味があるのです。

「がんばらない」真の意味

一言でそれを説明するなら、自然なアプローチで自分の心と頭を納得させるということ。

元来私は超生真面目で、融通がきかないほう。要領も悪いです。これって、学校の勉強、がんばっても成績に反映しないのです(笑)私がしていた「がんばる」は、苦痛に耐えて生真面目にひたすら単調に続けること。そこには独創性やら柔軟性やら、ありません。

以前の私は「がんばり」屋さんだった・・・(笑)

たとえば、今までにあったことのうち、わかりやすいものを例に挙げるとするなら、ある資格試験を受けようと決意しました。その試験を受ける人のほとんどは、予備校へ通います。私も通いました。始めの一年は、仕事と大学と予備校の3つをこなしていました。(当時は会社勤めをしていたのです。)仕事はもう慣れていたし、自分で仕事の予定を立てることができたからよかったです。大学は通信制だったので、仕事が休みの土日祝日は、一日中机に向かっていました。レポート書いたり、試験勉強のためです。

時には休暇をとって、スクーリング(大学に通い、講義を受ける)を受けたりしていましたが、私はスクーリングは最小限にとどめて、家での自学自習をメインにしていました。そして予備校は、平日の仕事帰りの夜に講義を受けに行っていました。仕事を辞めてからは、答案練習会も受けに行きました。

大学も予備校も、決められたスケジュールをこなせばいいわけで。答案練習会も、時間内に論文書ききって、そして合格ラインの点数をとることをめざせばいいわけで。大学はまだよかったのですが、問題は予備校です。予備校でいくらいい点採ったって、試験に合格しなきゃ意味ないわけで。

結局私は、この試験をあきらめました。3回挑戦したけど、無理だと思ったから。本当に「がんばり」ましたよ。5年間ぐらいは仕事の時間と生きるのに必要な時間以外は、すべて勉強に費やしていましたから。でもどうしてダメだったのか・・・。

がんばった結果、ボロボロになってわかったこと

それは「自分の頭が悪いから」、という一言で片づけてはいけないと思うんです。私の場合、まず本当に自分が望んでいたものだったのか、というところから、怪しかったのです。本当の自分が、その資格を取ってその仕事につくことを本当に望んでいたのか、というところが怪しかったのです。

本当に自分が求めるもの、求める姿であればこそ、どんどんそれに必要な新しいことを吸収していける。リアルに将来の自分を想像して、それが叶うと信じ切ることができるからこそ、今やっていることが楽しいと思える。何より、本当の自分が望んでいる(=必要としている)、その思いがエネルギーの源になる・・・。そう思うのです。

だからもう「がんばる」のはやめた

私にとっての「がんばる」という行為は、本当の自分に目を背けて、他人に認めてもらうためにつらいことに一生懸命取り組んでいた自分を思い出してしまうから。。。だからもう「がんばる」のはやめたのです。

これからの私の姿勢

「本当の自分」の声によく耳を傾けて、見栄や意地やプライドや社会的地位なんかにとらわれないこと、「本当の自分」の声を聞いてあげて、自分を喜ばしてあげることが大事だと思えるようになりました。そうしたら、自分が「こうなりたい」ために、「どうしたらいい」のかが、自然にわかるようになりました。

それが自然なアプローチ。自然なアプローチは、心も頭も喜びます。無理がないから。そしてずっと意識が高いまま、熱い気持ちのまま、自分の目標に向かって進んでいけるのです。疲れるなんて全然ないです。楽しくて仕方がないです。プライベートでしんどくなっても、私の目標がある限り、また復活できるのです。

今日もこれからも、私流の「がんばらない」スタイルで、夢を一つ一つ実現していきます^0^

そして先ほど、夢の一つが現実に一歩近づくかもしれないという連絡をもらいました。今日もずっと家で一人だったけど、楽しかったです。明日もいい日になりますよう。