みんなちがってみんなイイ!学校と教育のあり方を真剣に考えた夏

8月9日(金)、飯塚の嘉穂劇場で「”みんなの学校・みんなの社会第4弾” みんなちがってみんなイイ!!」というイベントが行われました。このイベントでは3人の現役先生をお招きして、めったに聞けないトークが聞けるということを聞き、参加したいな~と思っていました。しかも参加費無料ですやん!!

私は家庭の事情で会場へは行けず、有料のライブ配信で視聴しました。とても良い内容だったので、受け取ったメッセージを自分だけのものにするのはあまりにももったいなく感じ、ブログに残すことにしました。

壇上の先生方のご紹介

ステージでお話されたのは、以下の3人の先生方です。

木村泰子氏
大阪市立大空小学校 初代校長
大阪市出身。武庫川学院女子教育学部短期大学保健体育学科(現武庫川女子大学短期大学部健康・スポーツ学科)卒業。「みんながつくるみんなの学校」、「すべての子どもの学習権を保障する学校を作る」ことを理念に掲げ、一貫した言動で多くの子どもたち・大人たちから理解と共感を得ている。著書『「みんなの学校」が教えてくれたこと』。

工藤勇一氏
千代田区立麹町中学校 校長
山形県出身。東京理科大学理学部応用数学科卒業。学校を子どもを管理する場から子どもの自律を促す場へ変えるため、「宿題なし」「クラス担任制廃止」「中間・期末試験廃止」という斬新な方法で改革をした。著書『学校の「当たり前」をやめた。-生徒も教師も変わる!公立名門中学校長の改革』。

齋藤眞人氏
学校法人立花学園 立花高等学校 校長

宮崎県出身。宮崎大学教育部卒業。福岡県にある不登校生徒の自立を支援する学校法人立花学園立花高等学校へ2004年から赴任。2007年より校長に就任。「いいんだよ」の共感的理解の大切さを広く伝えるため講演活動を行っている。現場では「心の癒し」に重点をおいた教育を実践。「寛容の精神が醸成される社会」を目指している。

させられてきた子は文句しか言わない

麹町中の工藤先生がお話された内容は、自分を振り返っても周りを見渡しても確かに本当だと思いました。それは「させられてきた子は文句しか言わない」ということです。私は小学生の頃から親に「●●しなさい」と言われるのが大嫌いでした。その度に過度な反発を繰り返していたことを覚えています。そのうちに親は何も言わなくなったのは幸いでした(笑)。

でも世の中には子どものためと思って、熱心に勉強「させる」親や学校は当たり前に存在します。私は小学4年の男の子の母親でもあるのですが、私もやはり子どもにいろいろなことを「させて」いることを自覚しています。周りの大人が良かれと思って子どもに「させて」いること、本当に子どものためなのかと考えたことがあります。私の答えはNOでした。

本当は子どもの自主性・創造性を伸ばすことの方が大事であることはわかっています。けれども今、目の前にある子どもの課題にとらわれてしまい、その課題を「させる」ことに注力してしまうのです。どこかおかしいというのは、自分でやっていながら気がついていました。この日工藤先生のお話を聞いて、「させられてきた子は文句しか言わない」という事実に納得し、また子どもたちが「自らの意思で動く」ことができるようになるまで、周りの大人がどれほどの忍耐と彼らへの信頼を必要とするかは、容易に想像できました。まさに私が毎日その忍耐と信頼が貫徹できず連敗中だからです。

子どもたちの自主性を伸ばすためには、まず彼らのことを信じて待つ必要があると思います。周りの大人は自分の通って来た道なので、どうすれば良いかを子どもたちに言いたくなります。でもその決定権を子どもたちに渡す。子どもたちに自己決定させるのですから、大人の思惑どおりにはいかないのです。

でもよく考えてみると、大人が考えることはいつも正しいかというと、私はそうとは言えないと思います。時代が違うし、人格も違えば価値観も違うのですから。彼らのことを思えば私たち大人は、彼らが成人したときに自分の足でしっかりと立ち、自分の頭で考えて人生を切り開いていける力を育む環境を作るべきなのですね。大人の望む人間を作るのではないはずです。

子どもたちが自主性を持ち、自己決定できるようになるためには、自分の世界(人生)は自分がリードするということを骨の髄まで理解する必要があると思います。そのことを子どもたちひとりひとりが理解するためには、みんなにわかる言葉で話さなくてはならないでしょう。

私たちは母国語で生活していると、コミュニケーションにさほど不便を感じないので普段意識しないかもしれませんが、言葉には主観や固定観念が刷り込まれていると思います。言葉で外界から情報を取り入れる時には、その人の主観や固定観念がその情報の中に混ざり合うのかもしれません。そして自分から情報を発信するときには、主観や固定観念が刷り込まれた言葉を使って表現しているのだと思います。時として言わんとしていることの意味が相手に正確に伝わらないことがあるのは、そういうことなのかもしれません。先生方のお話の中で「みんなにわかる言葉で」とおっしゃっていたのは、そういうことであると理解しました。

思い込みや古い考えを取っ払って、できるだけ先入観の無いニュートラルな言葉で伝えなければ、誤解を生む可能性は多々あるのですから。

みんなで考えるみんなの学校

木村先生がお話された「みんなで考えるみんなの学校」は、おそらく文字面からだけ受け取るのと意味合いが異なるかもしれません。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という言葉がありますが、これは例えばチームワークを必要とするスポーツなどでよく使われる言葉かもしれません。「みんなで考えるみんなの学校」はそれとは異なります。

もしもチームワークを第一に考えるのなら、他人に合わせられない子どもはどうなるでしょうか。わがままとは違います。小学校にはいろんな子どもがいます。その子どもたちに「クラスみんな仲良く」「クラスまとまって」なんてのをスローガンにすると、そこからはみ出してしまう子どもがいたらどうでしょう。「せっかく一致団結しているのに、あの子がいるから・・・」という雰囲気になりやすいと思います。

それは本来目指そうとしたところではないはずです。だから「みんなで考えるみんなの学校」は、みんな仲良くや一致団結などを強いるよりは、一人一人が自分らしくいられる空間作りを目指す方が良いのではないか、というのが根底にある言葉だと思います。小学生くらいの年齢は、特に自分を肯定することがとても大事だと思います。自分を押さえつけて他人に合わせてばかりいると、自分を否定する癖がついてしまいそうですね。自分を否定する癖がついてしまうと、他人を否定する癖も身についてしまうのではないかと、私は危惧しています。

否定することを学ぶのではなく、まだ小さい子どもたちには違いを受容することを学んでほしいなと思います。違ってていいのです。違っていて、たとえそれが嫌いでも同じ空間にいることはできるということを学んでくれたら、将来そのスキルは自分自身だけではなく、社会も幸せにするのではないかと思います。

そのためには批判するのではなく、ありのままを受け止めたうえで、どうすればよいかみんなで考えることが大事だと木村先生は話されていました。みんなにわかる言葉で、みんな集まって一緒に考えるのです。各自がこだわりを捨てて、今ある問題をどのようにしたら解決できるのかを話し合うのだそうです。

一部の人だけが考えるのではなく、全員を当事者にします。学級のことであれば、クラスの子どもたち全員が当事者です。工藤先生のお話されていたこととダブりますね。自分たちのことを自分たちで決めていくのですから。当然必要な権限を与えなくてはなりません。そうすることで、自分の問題として取り組めるのだと思います。

話し合い(=対話)の仕方は大切です。人がたくさん集まれば、集まっただけいろんな考えが出てきます。相反する方向性を示す人もいるでしょう。そんなときこそ対話が大事だと先生方はおっしゃいます。全員参加で思っていることを全て出し切ることで、「一人だけ我慢する」という状況はなくなると思います。でもそうするともう収集がつかないような様々な考えが出てきますよね。けれどそれは実は枝葉だというのです。

どういうことかというと、様々な意見が出た後の対話こそが対話の神髄なのです。強いこだわりを捨て、慣習や前例にとらわれないで、今直面している問題に取り組むためには何が必要か、最終的にはどうなりたいのかということを、とことん話し合うのです。先生方の言葉で表現すると、「最上位の目的は何かを話し合う」です。「最上位」とは共通項であり、一番大元でもあります。何のために自分たちはそれをするのか、本当に目指すべきものを見つけ出すのです。

自由に発言し、誰もが他人の発言を批判しないことがルールです。そうして思いのたけを出し合い、知恵を出し合います。その中で同じことを言っていても、みんな表現方法、使う言葉が異なります。じっくり時間をかけて対話を繰り返すことで、ある時全員がしっくりくると感じる言葉が見つかるのだそうです。その言葉が見つかると、一気に全員の合意を得ることができるのだそうです。教員も生徒も同じ手法で対話を行うそうです。

最上位の目的に全員の合意が得られると、全員でその目的に向って走ることができます。じっくり対話をすると、いろんなアイデアが出ると思いますが、結局のところそれらの多くは目的ではなく、目的を果たすための手段に過ぎないということがわかります。最上位の目的さえしっかりと共有していれば、手段は何でも良いのです。一つやってみてうまく行かなければ、また別の手段を取れば良いのです。目指すところは皆同じなので、対立は生まれないのです。とても強力なパワーだと思います。

脳と心の状態を理解すると能力が引き出せる

工藤先生と木村先生は、脳神経科学を学んでいるそうです。そこからの学びは、教育現場でどのように子どもたちに動機づけをすれば上手くいくかを考えるのに、とても役立っているそうです。具体例を話してくださったので、説明します。

人間の心は脳の働きによって作られていますが、心の状態を大きく2つに分けると「安全状態」と「危険状態」があるのだそうです。安全状態にあるときは、脳は活性化します。反対に危険状態にあるときには、脳の活動は停止します。どんなときに危険状態になるか、具体例をあげると「叱られる」「パワハラ」といった誰もが嫌な気持ちになる出来事ですね。

これを教育現場に落とし込んで考えた場合、心の状態には安全・危険状態という2パターンがあるのなら、脳が活性化する安全状態で活動できる環境下に子どもたちを置くと良いことがわかります。子どもが何かできないことがあったとします。その時に大人が「何をしているんだ!努力が足りないからだ!もっとがんばれ!」と言ったところで、何が変わるというのでしょう。

叱咤激励をされて、子どもの心は危険状態に陥り思考が停止してしまう可能性大です。その子はもうすでに、散々がんばってきたかもしれません。あんなにがんばったのにできないとなると、その子はどうすれば良いのでしょう。脳が停止してしまうと、本来持っている力も出せなくなってしまいます。

家庭でも同じだと思います。親がいくら口うるさく子どもに説教しても、右耳から入って左耳からすーっと抜けて行ってるのではないだろうかと思うことはないですか?危険状態というのは、必ずしも委縮したり恐怖を感じるだけではなく、怒りの感情も含まれると思います。それらの感情は、思考を停止させてしまいます。

このような場合、脳神経科学の学びから次のようにアプローチするのだそうです。「人間は誰でもがんばれないことはある、だからあなたにもがんばれないことがあっても何もおかしいことじゃない」と声をかけます。「がんばれなくても悪くないんだよ」という言葉かけは、その子の心を安全状態に導きます。

ちょっとここで「がんばる」という言葉は好ましくないと感じるので、「継続する」に変えたいと思います。継続できない自分を知ることも大事なのです。継続できない自分を知ることで、じゃあどのようにしたら継続できるのかを考えるようになります。心が安全状態にあるので、脳は活性化して解決策を見つけ出せる可能性は、しかるよりもずっと高まります。

できないことを成し遂げるために継続する方法を考え始める子どもは、やがて継続するためには「しかけ」が必要なのだと知るでしょう。自分を知ることで、自分に適した「しかけ」を見つけられるようになればしめたものです。その「しかけ」は先生や親、他人から与えられるものではなく、自分を知っている自分がしかけるものだと思います。だからしかけが機能するのだと思います。始めは人から聞いて、これだと思ったしかけを真似るのも良いでしょうね。でもそのうちに、自分でしかけを作ることが出来るようになると思います。

大人(学校・親)から子どもに伝えるべき本当の学びとは何か?

学校も家庭も、子どもに知識を身につけさせることに注力するのではなく、わからないことを人に聞いたり調べたりする過程の方が大事です。単に知識をインプットするだけよりも、問題を解決する力を養うほうがずっと大事なことはわかります。結局のところ問題解決能力は学力の問題だけではなく、生きる上で必須の能力だからです。

私の子どもが今小学校4年生で、ちょうど子どもの自律性・自発的に行動する力をつけてもらうために何をすべきか手を焼いていた所だったので、このお話は大きなヒントになりました。毎日宿題をするように声かけしている自分が嫌でした。親が声かけしなくても自分でやるべきことをさっさと終わらせて、その日の就寝時間までの短い時間を有意義に過ごしてほしい気持ちがありました。

それをいくら子どもに「説いても」、その後1-2日はいい感じでもその後また元に戻る繰り返しでした。家にゲームもテレビもなく、ダラダラと過ごす要素がないにも関わらず、何もないならないなりに、ダラダラ過ごせるものなのだと、子どもから学ぶ日々(笑)

気持ちを新たに今回学んだことを自分のものにして、戦略を練り直そうと思いました。私も常々、知識を蓄えることだけが勉強・学びではないと思っていました。本当の学びとは、より良く生きる知恵を身につけることだと思います。自分を客観的に観察・分析できて、自分に必要なこと、自分にとって何が本当の幸せかを知る力を身につけることがとても大事だと思います。自分を大切にできる人間は、他人も大切にできると信じています。だからまず自分を大切に考えられる人になってもらいたいです。

社会で暮らすためには人とのコミュニケーションも大事です。上手にコミュニケーションを取れるかどうかは、幸せに直結する問題でもあると思うので、コミュニケーション能力も大事な学びです。それらの一つ一つが、私から子どもへ伝えたい学びです。

講演を聞き終わって、そのまま終わりにするのがもったいない気がした

私はオンラインで講演を聞いていました。終わってから「誰かと話したい!」と思いました。幸い、自宅で孤独に講演を聞いていたのではなく、豊前市にある冷泉茶屋のオンライン会場へ行ったので、終了後に一緒に聞いていた方々とお話することができました。

けれど子ども連れで行ったこともあり、子どもが退屈そうにしていてあまり長くお話できなかったのが残念でした。だからこのブログに私なりの感想を書くことにしました。人間ってすぐに忘れちゃうし、特に私は忘れっぽいので、細かに自分の気持ちも含めてまとめることが出来て良かったです。また時間が経ったら読み返して軌道修正をしたいと思います。

立花高等学校卒業式の校長の言葉がすごかった

私は福岡県在住ですが兵庫県に生まれ育った私なので、立花高等学校のことは知りませんでした。今回講演を聴き、ブログを書くことがきっかけで、立花高等学校について調べました。私のように立花高等学校を知らない方のために、簡単に説明します。

立花高等学校は、福岡市にある私立高校です。不登校の子どもたちを支援するために、様々なきめ細かいサポートを行っています。学校に対する不信感が強い不登校の子どもたちですが、無理を強いる方法ではなく子どもたちを信じて待つという姿勢を貫いています。

今回の講演会でお話を聞かせてくださった齋藤先生が校長先生です。YouTubeで検索すると、動画がたくさん出てきます。その中で平成29年度の卒業式での齋藤先生の言葉に衝撃を受けたので、シェアします。とても力強く勇気あふれる卒業生への言葉から、卒業を迎えるまでの子どもたちと先生方の厳しい道のりが感じられました。