ずっとあたためてきたテーマ
ずっとずっと書いてみたかったテーマについて、今日は書いてみようと思います。深すぎて上手く表現できないかもしれないし、まだまだ気づいていないこともあるかもしれません。けれども今書ける範囲でやってみます。
そのテーマとは、お母さんと子育て
外に出ると赤ちゃんや子どもをよく見かけます。子育て中のお母さんもよく見かけます。「育児ってこんなことするんだろうな。」とわかった気でいても、実際親になってみなくてはわからないことがたくさんあるということに、自分が親になって初めて気がつきました。特に私は昔子ども嫌いだったので、子育てについて、ほとんど何も知らなかっただけなのかもしれません。
高齢出産
私は42歳で出産しました。高齢出産です。妊娠判明時から、産科で高齢で妊娠した場合の様々なリスクを伝えられました。聞いているだけでも怖かったです。
分娩時に予想外なことはありましたが、無事生まれ特に子どもに健康面での問題は発見されませんでした。
健診で別室に呼ばれ
無事に生まれたから、後は順調かといえばそうでもなく、1歳半健診のときに、別室に呼ばれました。言葉の発育の遅れを指摘されたからです。臨床心理士さんとの面接を、定期的に開始しました。
これといって進歩がない状態で、九州へお引越し。同じようなサポートもなく、そのままになってしまいました。
その後、3歳児健診のときにまた言葉の遅れを指摘されました。そして定期的に言葉の教室みたいなところに通うのを進められ、そのとおりにしました。当時は発話も遅れているし、言葉の理解も遅れているとのことでした。
親も子も、ストレスでクタクタに
その頃、引っ越しで環境がガラリと変わったことで、私も子どももそれなりにストレスを感じていました。子どもは丁度反抗期。子どもにチックが出始めたのもこの頃。私はノイローゼ気味になりました。
怒り爆発!なことも時々ありました。どうしようもなく腹立たしくなり、子育てを放棄したくなる衝動にも駆られたりして、虐待をしてしまう親の気持ちも理解できました。私自身もあるトラウマをかかえていたことで、その苦悩は凄まじかったです。
クタクタになった親子にかけられたある言葉で、希望の光が見えた
そんな時期、3歳児健診で発育を指摘されたのでした。始めに面接してくださった人の言葉がとても印象的でした。
一通り子どもを観察し、私と話した後・・・「ゆうせいくん、お母さんの子どもでよかったね。」と言ってくれました。
この言葉で私がどれほど救われたか。涙があふれました。この言葉を聞く前に、面接してくれた人が私にこう言ったのです。
「ゆうせいくんは、他の子とは言葉の理解の仕方がちょっと違うのかもしれませんね。一般的にはこのような子どもは、母親とのコミュニケーションが上手く取れなくて、親からの虐待を受ける割合が高いのです。健診の部屋の入り口で、お子さんが入るのを嫌がっているのをたまたま通りかかって見ていたのですが、あれがゆうせいくんでした。その時のお母さんの対応が、とても良かったので感心しました。」
そしてその後、子どもに向かって、「ゆうせいくん、お母さんの子どもでよかったね。」と言ってくださいました。辛くて辛くてどうしようもなかったあの時期、その一言で救われました。
もちろん、それだけで全て上手くいったわけではありません。その後、何度も子どもと私の修羅場は繰り広げられました。でもあの一言があったから一線を越えることなく踏みとどまれたのだと、今思い返すとそう思います。
言葉にはパワーがある
子育てしているお母さん達は、みんな何かしら子育てで悩んで苦しんでいると思うのです。
だから・・・周りの大人たちは、そんなお母さんを優しく見守ってあげてほしいです。
優しい言葉をかけるだけで、とげとげした心がふわっと柔らかくなるのだと思います。
お母さん対子どもという関係だけではなく、お母さん対お父さんの関係も、子育てには大きく影響します。
お父さんはお仕事から疲れて帰ってくるけれど、子どものことだけではなく、奥さんにも優しい言葉かけをしてくれるだけで、また明日から優しいお母さんになれるのです。
言葉ってものすごいパワーあると思います。もしも苦しんでいるお母さんがいたら、もしも眉間にシワを寄せて頑張っているお母さんがいたら、優しい言葉かけをしたいですね。
どんなにひどいお母さんでも、心から鬼なわけではなく、そんなときはきっと心が泣いているのだと思います。だから優しいまなざしと優しい言葉がけが必要なのかもしれません。
育児=育自の意味
育児は「育自」とも言いますよね。その意味を私はこう考えます。
子どもを育てながら、お母さんは自分が子どもだったころの母親との関係を見つめなおすのです。母親との関係が密であるからこそ、子どもの人格形成に大きな影響を及ぼします。つまり、育児をしながら自分と母親との関わりを通して、自分という人格を見つめなおすのです。
育児を通して自分の人格が母親像と重なって見えてくるのです。私のトラウマはそこにありました。私の場合、「母のようにはなりたくない」という強い思いがありました。自分がしてほしかったこと、かけてほしかった言葉があります。それを私が子どもにしてやればいいと思ってやっています。それと同じに、自分の中の子ども(インナーチャイルド)にも・・・そういうことを全部含めて育自なのかな、と感じます。
私は自分の母親像との闘いで気づきました。私は自分の母親を憎んでいるのではなく、愛したいと思っていたのだと。そして愛することは、愛したいと思った瞬間からできるのだと。
私の育児は「育自」でもあるし、子どもの頃にこの世を去った母親との対話でもあります。今はとても充実した気持ちです。
わが子のありのままを受け入れる
ぽこすけは今も、言葉に関しては不安要素をいっぱい抱えています。でもこれは個性なのだと受け止めて、ぽこすけペースでぽこすけの世界を守りつつ、私は出来る限りの知恵と愛情で、見守っていきたいと思います。