ネイティブ並みの文法感覚を、多読で!

やり直し教養講座 英文法、ネイティブが教えるとこうなります

本のタイトルは『やり直し教養講座 英文法、ネイティブが教えるとこうなります』。図書館で借りてきた本なんですけどね、意外に面白かったです。あまり期待はしていなかったのですが、あっという間に読んでしまいました。

これで文法を勉強できるかっていうと、できないです。何がよかったかというと、自分の理解とネイティブの感覚を比較できたことです。それとなんとなくこういうニュアンスかな~と思っていた部分が実際ネイティブはどんなニュアンスで捉えているかがわかりました。

今までまともに文法の勉強をしたことがないのですが、ちょこちょこと昔、レッスンで教えてもらったというか、宿題で出されていた基本的な文法知識を元に、多読を6年ちょっとしてきました。多読で養われた文法知識って、結構大きいと思っていました。この本を読んで感じたのは、そのとおり、大きかった。

未だあやふやな部分もあって、この本を読んで「へぇ~なーるほど!」と思いました。でも大部分は、自分の理解があっていることの確認でした。逆に、「へぇ~日本人って、こんなふうに考えて混乱してるんだ」と思うことがたくさんありました。自分も日本人なのにね。しかも私は別に英語に絶対の自信をもっているわけではなくて、むしろこれからもっともっと磨きをかけたいと思っている立場にいるというのにね。

多読で自然に身につく文法力っていうのは、文法書を使って日本人が勉強する場合に陥る混乱とか勘違いをせずに、ネイティブに近い感覚のものなのかもしれません。ネイティブは日本人が英語の文法を学ぶような方法で身に付けるというよりも、たくさんの英語に触れながら身に付けていくのだと思うのです。だから多読はネイティブが文法を身に付けていく過程に似ているのではないかと思います。実際、「似ている」というより、「同じ」であると言えるかもしれません。

著者は「ネイティブは文法を知らないのではなく、文法が体にしみついているから文法を意識する必要がないだけ」なのだと述べています。私も洋書を読むとき、文法など全く意識していません。文章を読んで、そのまま感じ取っています。とても勉強になったのは、文法的には正解でも、ネイティブはそうは表現しないことがあるということ。

たとえば「彼女は私に電話をするつもりだと言った。」と言いたい場合。文法的に正しいのはShe said she would give me a call.なのですが、ネイティブが会話で使う場合、こうは言わず、She said she will give me a call.と言うのですって。

なぜかというと、上の文章は「彼女は私に電話をするって言ってたけど・・・」という、少し歯切れの悪い意味合いになってしまうから。ネイティブはwouldを使うと、相手にShe said she would give me a call, but she didn’t.と誤解される恐れがあるために、あえてwillを使うらしいです。ただし、書き言葉ではwouldを使う人が多いみたいですが。

それから多読のパワーを感じたことを一つ挙げてみます。たとえばTo know him is to love him.という文章。これを直訳すると「彼を知ることは、彼を愛することだ」となって、なんだかよくわかりません。

不定詞には、「仮定」のニュアンスを含むことがあると、この本に書いています。私はもちろん、そういう風に頭の中では整理されてないし、そういう勉強はした・・・ことも覚えていません。ゴホゴホ・・・した覚えはありません。学校の授業でしていたかもしれませんが、私は知りません(汗)

でもこの文章を読んだとき、「仮定」の意味合いで理解しました。もし私が翻訳するとしたら、「彼のことを知ったら、好きになってしまうでしょう」<(愛とかあまり日本人は使いにくいから、あえて好きと訳すかもそれか、「恋してしまうでしょう」とか)という感じにすると思います。実際は前後の文章があれば、もっとぴったりくる表現が浮かぶでしょうけれど。

不定詞に仮定の意味があるということを知識として持っていなくても、多読をしていると自然とわかってきます。ちなみに種明かしがされていて、上の例文はある有名なオールディーズの曲のタイトルで、邦題は「逢ったとたんに一目惚れ」なのですって。

いや、本当にこの本は面白かったです。これを覚えようなんて、お勉強モードになると、たちまち面白くなくなっちゃうのですが、自分の文法感覚を確かめる、という観点で読むと一気に読めて楽しかったです。もちろん楽しんだだけで、これで何か新しいことを覚えたとかそういうことはないです。

そんなことしなくても、多読をしているうちに今あやふやなところもいつの間にか、当たり前にわかるようになるのだから。他にもたっくさんの例文が載っていて、「この違い、わかりますか?」と聞いているのですが、逆に「えっ?違うやん。なんでこれが同じといえるの?」と思うところが多々ありました。なんだかちょっと自信につながった気がしています。