とうとうこのテーマも最終回になりました。終わってしまうと思うと、なぜかちょっぴり寂しい思いがします。
英語が大の苦手、英語アレルギーだった私が、どのようにして英語大好き人間になったかを語ってきました。最終回は今の私にとっての英語とは?を中心にお話していきたいと思います。
前話までのお話
第1話 出だしでつまづいた!
第2話 どこへ行っても英語がつきまとう
第3話 怖いもの知らずって怖い
第4話 とんでもないとこにきちゃったかも
第5話 右も左もわからない
第6話 必死で生き残る!
第7話 さよなら英語
第8話 多読との出会い
第9話 英語を前から読む
第10話 辞書を引かずにどうやって語彙が増える?
第11話 発音はどうやって練習したか
最終回 英語で何をする?
学生時代、英語から逃げることばかり考えていた私。社会人になって突然、英語に目覚めて無謀にも外資系企業に転職した私。その外資系企業に出したレジュメに、「英検3級」と、堂々と書くつわものだった。
正直に告白すると、英語を心から楽しめるようになったのは、多読と出会ったわずか5年前のこと(上記外資系企業を辞めて6年後ぐらい)。それまでは、ニガテを克服したいとの思いだけで頑張っていたようなものだった。
何のための英語?
何のために英語を学んでいるのか。そんなことを本当に考え始めたのは、心から英語を楽しめるようになった後だった。
英語は言葉。コミュニケーションツールだ。今になって思う。机に座って、辞書や参考書ばかり見ていても、本当の意味で英語を使えるようにはならないし、第一楽しいとは思えない。英語の勉強は苦行なんかではないはず。
面白くもない英文を読んで、不自然な日本語に訳したり、点数なんかつけられて、一喜一憂したりすることに違和感がある。
そんなんじゃない気がする。別に文法が間違ってたっていいじゃないか。英語で話したり、書いたりして、相手に言いたいことが伝わって反応が返ってきたり、英語を読んで自分にとって有益な情報を得られたら、うれしいし楽しい。
完璧でなきゃ通じないのか
私たち日本人同士の日本語のやりとりだって、話し言葉しても書いたものにしても、どれだけ文法的に正確に表現できているだろうか。私はできてないと思う。それでも十分意思疎通できてる。それが英語になったとたん、なぜ日本人は正確な表現にこだわるのか。
ちゃんと伝われば、まずはいいんじゃないのかな。経験的に感じるのは、文法を気にするよりも、伝えたいという気持ちがあるほうが、ずっとうまくコミュニケーションできる気がしている。
日本語だって、そうじゃないかな。たとえ言い間違いしてたって、聞き手が勝手に頭の中で言い換えしてくれていたり、よほど意味が通じないときには、聞き返してくれるじゃない?
それに何か言いたいことがあってそれを伝えても、相手に間違って理解されていたりすることって、ないかな。日本語であるにもかかわらず。あるのは私だけ?
それで何回か、やりとりする。ちゃんと伝わるまで、言い換えしたり例え話したりする。それでやっと相手にきちんと理解される。私はそういうこと、時々ある。
伝わらないのは言語のせいだけではない
そういうときに、自分の日本語の文法が間違っているからとか、下手だから伝わらないのかな?とかは思わない。人それぞれ、いろんな考え方があるし、いろんな捉え方があるほうが普通だと思う。
聞く人の置かれている状況によっても、意味の受け取り方が違ってくる内容だってあるかもしれない。
英語で話すときは、もっと頻繁にそういうことがあっても全然おかしくないと思う。なぜなら、習慣や文化が全く違う人と話すんだから、日本人同士よりももっと話は通じにくくなる場合だって、あるはずじゃないかな。
私はあった。外資系企業で働いているときに。
そのような場面で、「あ~自分の英語、通じない~どうしよう・・・」なんて思わないで、「なんとか伝えたい!」という気持ちで会話のキャッチボールを楽しめばいい。そういうことを繰り返すうちに、慣れてくる。
始めは決まり文句を1回言えば、自分の思うことが100%伝わるという幻想を持っていた。だから自分が思う答えが返ってくるかと思って待っていると、「え?なんで逆に質問が返ってくるの?」なんてこと、あった・・・。
これは日本語だって同じだよね。
たかが言語、されど人生の選択肢を一気に広げてくれる
かなり話がそれているが、私にとっての英語とはつまり、「言葉」にすぎない。何か情報を得たいとき、人に何かを伝えたいときに使うツール。英語を使えることで、対象が日本語オンリーよりも広がる、ということだ。しかしこれはすんごいことだと思う。
あらゆる可能性がバーンと広がる。今まであきらめざるを得なかったことが、可能になったりする。情報源が一気に広がる。そして何より、楽しい。
今後、私は英語を使ってしたいことがたくさんある。趣味から仕事まで、英語が使えなくては実現できなかったことをする。いや、もう始めている。
今のレベルでできることから始めよう。「勉強して、自信がついてから」なんて思っていると、あっというまに人生が終わっちゃう。
だんだんとレベルアップしていけばいいことじゃないかな。英語を使うことで、英語は伸びるし身につく。無理なく、無駄なくやればいい。出来ることから始めるのなら、苦行には感じないはずでしょう?
そんなことはない、と言われるのであれば、出来ること=やりたいことではいかが?やりたいことがないのなら、英語なんか勉強しなくたっていい。
私はそういう風に英語とつきあっていこうと思う。英語を使ってやりたいことがなくなったら、もう英語はやらない。
この連載の最後に
私のささやかな夢をひとつ、ここで発表したいと思う。今は1歳のかわいい私の子供と、洋書の貸し借りをしたり、面白かった洋書について話をすること。こんな日が来るのを夢見つつ、この連載を終わりにしたい。
今度は英語を使って、大きな成果が得られたときに、またこのような連載を始めるかも・・・。
終わり☆
長い間お付き合いくださり、ありがとうございました。今後は引き続き、和書洋書かかわりなく、面白かった本の紹介や日常のこと、英語に関するあれこれを書いていきます。これからもよろしくお願いいたします。