英語アレルギーだったの 第10話

またまたしばらくぶりの再開です。もう少しお付き合いいただけたらと思います。

多読は辞書を引かないで、易しい本からたくさん読んで英語を楽しみながら身に付けていく方法です。前回は英語を英語のまま、前から読んで理解することについて書きました。

前話までのお話

第1話 出だしでつまづいた!
第2話 どこへ行っても英語がつきまとう
第3話 怖いもの知らずって怖い
第4話 とんでもないとこにきちゃったかも
第5話 右も左もわからない
第6話 必死で生き残る!
第7話 さよなら英語
第8話 多読との出会い
第9話 英語を前から読む

第10話 辞書を引かずにどうやって語彙が増える?

多読はわからない単語に出会っても、辞書を引かない。理由は辞書を引くことにより読書が中断され、ストーリーに集中できないから。私みたいに面倒くさがりにとっては、辞書を引き引き読まなくてはならない時点で挫折。特に私のようにもともと英語アレルギーで、乏しい語彙しか持っていない場合には、辞書ばっかり引いてることになってしまう。いつまでたっても先へ進めない。

辞書なしで読めるレベルの洋書からスタート

辞書を引かずに読むということは、ページを開いてみて知らない単語がところどころしかないようなレベルの本を選ぶということである。そんな本を探してみて欲しい。意外にすらすら読めるほどで、簡単すぎやしないか??という本になってしまう。そのレベルからスタートしよう。

すっらすら読めて、気分爽快。どんどん新しい本を読破していく。初めは字の少ない、絵が豊富な本になることと思う。すると知らない言葉が出てきたとしても、絵に助けられて結構意味がわかったりするものだ。

そうして徐々に、無理をせずにレベルを上げていく。初めて字だけの本を手にしたとき、私はとてもうれしかったのを覚えている。字だけといっても、字はかなり大きいのだが。

すると絵に助けられないばかりか、少々難しい単語も登場し始める。たとえ挿絵があったとしても、それでは全然意味はわからない。それでも辞書を引かずに読み進む。全く意味が分からず、でもどんどん無視して読む進める。読み終わったとき、結構ストーリーが楽しめて、満足感ありならたいしたもの。

なんだか細かい部分はよくわからなかったけど、大体読めたかな、というぐらいでいいと思う。

わからない単語は徹底して放置する

読み終わった後も辞書は引かない。要するに放っておく。

また新しい本を次々に読んでいく。するとこの前見た言葉がまた出てきていて、また意味がわからない・・・。でも気にせずに無視して読み進む。延々こんな具合。

それは・・・感動の瞬間に出会うため

何度かその言葉に出会ったとき、ある瞬間に「!!!わかった!!!」ということがある。この瞬間がたまらない。わからなかったその言葉は、今までいろんな場面で目にしていたのに、分からずにもやもやとしたままであったのが、そのもやもやが晴れる瞬間が急に訪れる。

いろんな場面で見たその蓄積が、意味の推測をだんだんと容易にしていくからだろうか。正確なところはわからないが、私はそんな経験を何度も重ね、確実に語彙を増やした。

初めのうちは遊び感覚で、「わかった!」と思った単語を辞書で調べてみたりした。ほとんど全部正解だった。あるときは、辞書の中の日本語に違和感を覚えるときもあった。「う~ん、日本語でそう一言で言い表せる言葉じゃないと思ったのだけど・・・」という感覚。おそらくこの私の感覚のほうが本当の意味に近いんじゃないかと思う。

こんなことを何度も何度も経験し、多読をしている人の集まりに参加したときに、そういう話をすると、似たような経験談を耳にすることがたびたびあった。経験したものにしか分からない感覚・快感。

辞書を100%信用しない自分が出来上がった

このような経験をしているからか、仕事で翻訳をするときにこんなことがある。翻訳するときは、さすがに辞書を引く。でも辞書に載っている日本語ではしっくりこないときがある。手持ちの英和と英英と調べて、ネットでも調べて、自分の中でどの表現が一番原文に近いか、私の感覚で判断する。日本語に訳すときには、英和辞書には載っていない言葉(日本語)も使う。

辞書に載っている日本語に縛られすぎない。これがプロの翻訳家として正解なのかはわからない。私は翻訳の勉強をしたわけではなく、化粧品に詳しくて英語もわかるということで、成り行きで引き受けている仕事だから。

辞書は私にとって絶対ではない。

辞書なしで感覚を研ぎ澄ますことで、ネイティブが持つ言葉の感覚に近くなる?

辞書を引かないで、読んでいくうちに覚える言葉というのは忘れにくい。大量に覚えるのとは違うからかもしれない。でも自然に使うべき場面や、ニュアンス的な部分までを含めて、ただ英語と日本語を対で覚えたのとは違う深みを持って、自分の中に根付く感覚。本当にこれは経験したものにしかわからない感覚なのかもしれない。

そういう風に、これからも多読でいろんな言葉を覚えていきたい。たまには間違った意味に捉えているときもある。でもそれが悪いだろうか。日本人である私たちだって、日本語の意味を間違えて使っているときがあるではないか。気づいたときに直せばいいんじゃないだろうか。たいした問題ではない、と私は思う。

いつも思う。日本語は結構適当なのに、英語となると100%を求めたがる傾向にあるのはいったい何なのだろうかと。私の中にもこのような考えが確かにあった。でも今はそうは思わない。すると気が楽になった。

続く

いかがでしたでしょうか?次回は読むことから離れて、私が経験した発音特訓についてお話します。お楽しみに~♪

次回の英語アレルギーだったの第11話はlink発音はどうやって練習したかです。