めずらしく酷評します

英語学習本を見つけては、どんな内容か読むことが習慣になっているこの頃。本当にいろんな本が出版されているのですね。

英語がどんどん口から出てくる勉強法

『英語がどんどん口から出てくる勉強法』、図書館で借りました。始めに謝っときます!!ごめんなさい、この本のこと、けちょんけちょんにけなすと思います。

フォトリーディングで、始めにパラ~っとめくった段階で、「これはないな・・・」と思いました。でも何がダメなのかを伝えないといけないので、最低限のことを伝えるために、続けて見ることにしました。

著者は立派な経歴の持ち主で、英語だけではなくアメリカ通みたいで、アメリカ研究家。(って何?)英語教育評論家。「評論家」らしい本でした。

文法事項を九九のように?

学校の英語の教科書、NHKのテキスト、英和・和英辞典に対してダメ出し。批判の根本はどれも同じで、文法は基本から積み上げていく必要がある、という強い信念を持っていらっしゃいます。批判の理由を書いていらっしゃいますが、読んでもピンとこない私がズレているのかわかりませんが、理解できない部分が多々ありました。

日本語自体もちょっと理解しづらかったり、文法についての記述は、「そんな細かいこと考えんでも・・・」という緻密さ。「ムダ」に緻密な感じがしましたが、どうなんでしょうか。

著者は長年英語教育に関わってきて、日本人がつまずく箇所を熟知しているということを強調されています。そして一番の特徴が、文法をしっかり覚えて自在に使いこなせるようになれば、英語を使いこなすようになれる、というのです。

そしてその方法が、著者の用意した覚えるべき文法事項を例文にしたものを九九のように暗記すること。考えなくても反射的に反応できるようにするということですね。

暗記?質も伴わせて欲しいけど

驚くべきは、覚えるために音読80回とか。いいのかな?80回とか言っちゃって。

私がもし英語ができなくて、この方法に出会っていたら、とにかく80回音読してたと思います。多分、80回音読が目的になっちゃって、80回音読さえすればモノになると勘違いしてるかもしれません。

ちがいますよ~。

多くの方はそんな勘違いしないと思いますけど、一番大事なことは考えなくても出てくるほどに、自分のモノになっているということだから。音読さえすれば覚えられるってものでもないですし。覚えなさいっていう時点でムリな人もたくさんいるでしょうに。

文法の大切さを説明するために、いろんな事例が載っていたのですが、どの事例もなんかすっきりしないのですよね。「・・・は生きた証左なのである。」というような記述がいくつもありますが、読んでみても、「う~ん、そうかあぁ・・・?」と思うことばかりでした。

メイドさんの英語力?

例えばメイドさんの話。

日本在住のアメリカ人家庭で働く日本人のメイドさん。著者はメイドさんは、24時間英語環境にあるにも関わらず、英語力が低いと述べています。メイドさんはどの方も10年15年という長いキャリアを持っているそうで、それなのに英語力が低いことを、文法を軽視している証拠だ、というふうに結論づけています。

私にはなぜそういう結論にいたるか理解不能ですし、そもそもメイドさんが24時間英語環境にあるかどうかも疑問です。さらに、アメリカ人家族とそんなに会話する機会があるのか、あるとしても会話の内容はどうなのか。

同じような内容の会話だけなら、英語力は関係ありませんよね。

私はやっぱり量と深さと経験は必須だと思う

私は英語を使えるようになるためには、暗記だけでは絶対にムリで、たくさんの英語を読んだり聞いたりすることが必要だと考えています。暗記だけで英語が使えるようになるなんて、そんな甘いものではないです。前回の本に書いてあったようにね。

気が遠くなるほどの量を読んで聞いて、やっと自分から話したり書いたりのアウトプットができるようになるのだと信じています。「気が遠くなるほどの量」といっても、私が提案していることは、楽しむことですから、「苦」は伴いません。

本の話に戻りますが、英語上級者に向けた教材の一例として、英語にカタカナを付けているのを見たときも、ちょっと違和感ありました。

あとは後半部分、英語を使えるようになるためには文法を覚えることだけではなく、日本とアメリカの違いや地理などについても知る必要があるとして、この本に書いていることは必ず覚えるように、と書いていました。

それで、その部分を読むとなんだか・・・・。そんなん、実際会話したり洋書読んだり新聞見たりTV見たり友達作ったりしながら覚えたらいいやん」って思いましたが、いかがでしょうか。

確かに習慣や価値観の違いを認識し理解することで、コミュニケーションを円滑に進めることができます。でもそれは、こういう学習本で暗記するものではなくて、実際肌で感じながら失敗しながら、自分の経験として学んでいくことだと思います。

もし指導的立場で言うとしても、「違い」があるよ、と注意を促すぐらいしかできないと思うのですが。こんな違いがある、と話して、それを覚えてくれたとしても、それは単に「知識」に過ぎません。

確かにそれはそれでプラスになるでしょう。でも自分で経験して、自分で感じて学ばないと、自分のモノにはなりません。そんな風に思います。

市橋敬三氏のメソッドに関心があるかたには、気分のいい内容ではなかったかもしれないですね。ごめんなさいネ。正直な感想を述べました。