初めて茂木健一郎さんの著書を読みました。
脳と仮想
本のタイトルは『脳と仮想』です。
著者の茂木さんに対する印象
以前(うちにテレビがあった時代)、よくテレビでお見かけしていました。人間の頭の中を研究している学者さんであることは知っていました。でもなんか、結構人気者っぽくて、気後れしちゃって興味はあるものの、本を読んだことはありませんでした。
たまたま図書館で見かけたので、ちょっと読んでみるか、っていう軽い気持ちで読みました。私が勝手に考えていた茂木さんとは、少し違っていて、なんというか、学者さんでありながらそれほどがちがちな科学の信者ではない、というか・・・脳の研究者だからそうだと思うのですが、科学を否定するわけではないけれど、今の現代科学ではどうしても説明しつくせないコトのほうが、多いということを、論理的に書かれていて、好感持てました。
現代科学で説明がつかないことを否定するということに対して、「それは違うのでは?」と思っていたし、確かに人間の英知ともいえる現代科学はすばらしい私たちの財産であることには間違いないと、私も思います。でもそれを過信することは、うぬぼれだと思っていました。その思いを、理路整然と述べられているし、かといって「常識的」にみて、科学者にあるまじき・・・的な思想を展開するでもなく、読んでいて妙な安心感と心地よさがありました。
私は科学・非科学どちらかに偏りすぎている考え方はあまり好みではありません。何事もバランス。すべてを否定しない、すべてを鵜呑みにしない。そういう姿勢を大事に保っていたいです。そういう意味で安心感と心地よさがありました。
直にとらえることができないもの、それが「現実」
内容は非常に難しいと思われることを、とてもわかりやすく、そして科学者らしくないのかもしれませんが、感性に訴えかけてくるような文章も好みでした。この本を読んで私の意識が向いたのは、現実ってなんだ?ということ。
現実。自分の外にある現実。他人も含めた現実がありますよね。その現実は、自分の脳の働きにより、認知・認識される。脳の中にある神経細胞の活動により、現実を感じることができる。しかしそれは現実そのものではない。自分の外にある現実を、脳の神経細胞の精密な活動によって、生み出される「脳内現象」を認識しているにすぎない。それを著者は「仮想」という言葉で表現しています。
自分が見ている緑色の葉っぱを、他人が全く同じ色合いの緑色として見てるかは、実はわからないのです。わからないし、確かめようがないのです。さらに脳の神経細胞は、自分自身の意識も生み出しています。私たちは言葉などを使って外界と交流しますが、その言葉の意味は、厳密には個々の人間のこれまでの経験・体験に基づいた記憶も加味されているということを理解しておく必要があります。そこをわかっていないと、言葉の選択をめぐって、言い争いになってしまいます。現に私は過去、そういう喧嘩をたくさんしてきました^^;
「現実の写し」しか認知することができない
それは何も脳科学や言語学の世界に置いてだけではなく、多分心理学の分野でも同じようなことは言われているのだと思います。だからいくら他人を理解しようとしても、理解するのは自分の脳細胞。自分の世界の中で想像できる範囲を超えることはできないのが普通なのでしょう。他人を「わかった」と思っても、それは「仮想」にすぎない。現実がわかった、としてもそれは実は「現実の写し」を見てわかった、と思っているだけのこと。
ただ、「仮想」といっても、まるっきり現実には存在しないもののことを言っているのではありません。この記事だけ読んでも、あまりピンとこないかもしれませんね。抽象的なことが書いてあるので、なかなかコンパクトにして説明することは困難ですね~><; 文章を書く腕をもっと磨く必要性を感じます。
誰もが否定しない「意識」は今の科学では説明できない
最後に魂について、書かれていました。魂=意識。意識がなぜ生じるのか。現代の科学では、これを説明することはできないのです。著者は科学は必要なものであるけれど、この世の中で科学で説明がつくコトのほうが少ない、と言います。筆者はこのことについて、現代の科学のやり方にどこか根本的な間違いがあるのではないか、とみています。でもその間違いを見つけるのは非常に難しそう。
魂=意識の話に戻りますが、現実自体は知り得ないのです。つまり、頭の中で魂=意識が「仮想」を感じることができるのなら、自分にとってそれはそこに存在する、ということなのですって。ここを読んで、ふと私の記憶によみがえったことがありました。エリザベス・キューブラー・ロスのこと。
「あるかないか」よりも、何を信じて生きるかが大事
彼女は精神科医です。それも死の研究者。何千人ものガン末期の患者さんたちと会って話をして、生について、死についての論文を遺されています。そして科学者でありながら、魂の存在と、死後の世界についての論文も発表されているという、ちょっと変わり者的存在なのです。
何年も前に亡くなったのですが、彼女の著書に書いてあったことを思い出しました。彼女は生前、自己の論文で発表していた「死後の世界があって、死後魂がそこへ向かう」ということについて、自分の研究の真否を証明することはできないと感じていました。死後の世界があることがわかるのは、自分が死んで、肉体が生命活動を停止した後も魂=意識が残っていて、自分がずっと言い続けていた死後の世界を見たときだろうと。もしもそんなものがないのなら、自分が死んだあとは意識も消滅するので、死後の世界がなかったと落胆することもないと。それならば、「ある」と信じていた方がいいんじゃない?というような意味合いのことが書かれていたと記憶しています。
彼女が言いたかったことは、つまり「あるかないか」を証明することが大事なのではないということ。人間はいずれみんな死にます。100%です。「ほとんどの人にとって死は恐怖ですが、死に対する考え方一つでその恐怖が和らぐのなら、それでいいじゃない。」ということなのです。
茂木さんの著書を読んで、エリザベス・キューブラー・ロスの言葉も思い出し、確かにそうだと思いました。だって、現実は「仮想」なのですから。