ライフ・レッスン その1 ~ほんものの自己~

ライフレッスン

エリザベス・キューブラー・ロスとデーヴィッド・ケスラー著。医学博士で精神科医のエリザベス・キューブラー・ロスの最後の本となってしまった『ライフ・レッスン』。

もう何年も前に購入して、途中まで読みかけていたのですが、内容が濃すぎたため、消化しきれずにずっと中断していました。今回初めから読み直し、その内容の素晴らしさに改めて深く感動し、人生を豊かにそして存分に生きるために何が不要で何が必要かを、はっきりと示してくれる、そんな1冊でした。

実はまだもう少しで読み終えるところなのですが、1冊まるごと1回で紹介するにはあまりにもったいない本でしたので、1章ずつ感想と簡単な内容紹介をしていこうと思いました。連続で紹介はしないと思います。ぼちぼちと・・・。まず第1章から。

「ほんものの自己」のレッスン

ほんものの自己=本当の自分 って何?どんな人間?って考えたことありますか?エリザベスはターミナルケア(終末期医療)の最前線で、まさに今死の床に伏せっている患者さん何千人と対話してこられたそうです。その経験からわかったことは、わたしとはこの経験のことなのか?この体のことなのか?この欠点のことなのか?この病気のことなのか?社会的地位?親としての立場?しつけや教育の産物?などと考えるがいずれも違う。確かに上記の部分は持ち合わせているが、それが「わたし」ではない。

「わたし」とは定常的で消えることもなく、加齢や病気や環境によって変わるものではない。生まれながらにそなわっており、それとともに生き、それとともに死んでいく。死の床にある人には健康もない。親として果たせる役割が限られている。社会的地位も失ってしまった。そして学ぶレッスン。「ほんもののわたし」。

しかし人は死に直面しなければ「ほんもののわたし」を知ることができないわけではありません責任感が強い人。他人の世話をやくやさしい人。親。指導者。皮肉屋。のけ者。いい人。反逆者などなど、人はいろんな役割を演じています。引き受けたその役割、自ら望んでいた場合もあるだろうし、気乗りがしないまま引き受けたかもしれない。

そしていったん引き受けたからにはその役割を演じきろうとするあまりに、自分自身のままではいられなくなる・・・そういうことってありませんか?「ほんもののわたし」を知る方法、どうするのでしょうか。

これは私がよくやる方法ですが、自分の内なる声に耳をすますということです。「でなければならない」「こうあるべきだ」「誰々のためには・・・」などという縛りを一切取り払い、本当の自分の心に聞いてみます。すると自分の姿というか、心が見えてきます。それをそのまま表に現すか、うまく表現するかは・・・ケースバイケースでしょうね。

思考の癖や行動の癖

そしてもう一つ。これは私にもありました。幼い頃からの癖です。思考の癖や行動の癖。

例えばある子供、父親がアルコール依存症だとします。子供は父親から身を遠ざけるためにひきこもるという行動(防御として)を身につけます。その子供にとっては、父親の暴力が始める前にひきこもって自分の身を守ることが必要なのですね。

しかし大人になって父親から離れたら、もうひきこもるという行動をしなくても、身に危険はありません。それでも幼い頃に身についた癖というものは、危険が去った後でも残ります。そしてそれが時には社会生活を困難にしてしまうのですね。

誰にでも大なり小なり心当たりはあると思います。私にもありました。どうするか。

「役に立たない道具は手放さなければならない」のです。

子供の頃、自分を守ってくれたことに感謝して、おもいきって手放すのですって。ほとんどの人は、往々にして無用の道具を後生大事に抱え込んだまま、ありもしないことに対して心を痛めているそうです。

具体例 私の場合

私も手放しました。手放した、というか、「リフレーム」してみました。いろいろ手放した癖はあるのですが、そのうちの一つを紹介すると、「人の顔色を伺う」という癖というか道具。

この「人の顔色を伺う」という癖のあった私の子ども時代、周りの大人の顔色を伺って自分が不利にならないようにしていたのですね。実際とても聞き分けのいい子供でした。でももう人の顔色を伺わなくても自分は不利にならないということがわかりました。もう子供の時のように、大人の意思一つで自分の身のふりかたとかを決められなくても済むのですから。

でも私はこの道具、手放すにはちと惜しかったのです。それで、私には「人一倍人の気持ちがわかる」能力(道具)がある、と言い直した(リフレームした)のです。人の顔色を伺う私ではなくて、人の気持ちを汲み取ってあげられる私、と考えました。

するとそれはネガティブな行動にはならず、ポジティブな行動として表面化します。結構うまくいってます。

以上、最後は私の経験談みたいになってしまいましたが、具体例で少しでもイメージしやすいようにと思いました。第1章のお話、言い尽くしていませんが、簡単にご紹介しました。今後も不定期に続く予定です。

ライフレッスン その2の記事はコチラlinkライフレッスン その2 ~愛のレッスン~