英語アレルギーだったの 第6話

第6話です。ご無沙汰しておりました。では始めましょう~。

前回までのお話

第1話 出だしでつまづいた!
第2話 どこへ行っても英語がつきまとう
第3話 怖いもの知らずって怖い
第4話 とんでもないとこにきちゃったかも
第5話 右も左もわからない

第6話 必死で生き残る!

異動先では職場に日本語がわからない外国人はたくさんいた。それに加え、一緒に働くチーム内にも一人いた。したがって一番小さいミーティングも英語になってしまった。それどころか、ラボで仕事中にもちょっと集まってみんなで話すときも英語。初日には面食らってしまった。だがここが私の職場。生き残っていかなければならない。

度胸試しのような体験も

ボスがイギリス人で、毎週1対1のミーティングをしていた。あるとき、これから私がする仕事について、他部署のある人のところへ行って、教えてもらってきなさいと言われた。行ってみるとこれまた外国人。「英語か~」と思ったがしかたがない。
でもこのときの私の英語力はたいしたことなかったので、言ってる事がわからない場面が多すぎて、何度も説明してもらったことを覚えている。その方は多忙であるにもかかわらず、イライラせずに我慢強く私に向かい合ってくださり、本当に感謝の気持ちでいっぱいになった。

この会社では、よく他部署から英語の電話もかかってきた。そして電話ではちょっと面倒だというので、その人の席へ出かけていくこともあった。海外にある部署からも電話があったり、こちらから電話したりもした。もちろんメールはもっと頻度が高い。レポートも書かなければならないが、もちろん英語。

伝わる文章を書く訓練

私が一番最初に楽になったと思ったのは、英語を書くことだった。メールは一日に何十件、多いときには100件以上読み、必要なものには返信をするだけではなく、自分からメールを発信することも度々あった。レポートも、実験やリサーチをするたびに書かなければならない。もたもたしていると溜まる一方。

気がつくと私は、英語を書くときには英語で考えて書くようになっていた。自分でそうしようと思った訳ではなく、そうしなければ英語が浮かばないという状況だったのだと思う。つまり、英語で見聞きしていることだから、日本語よりも英語が出てきやすいのだ。それに日本語を英語にしていると、時間がかかりすぎるからだと思う。第一、日本語を英語にする力もなければ、たとえ出来てもおかしな英語になってしまうようだ。記憶違いでなければ、部分的に日本語を英語にした箇所で、「意味がわからない」との指摘が多かった気がする。

レポートは上司にまず見せて、添削を受けてから発信するのが常であった。初めのうちは、文法的なことを直されていたように記憶している。それがいつのまにか、内容について直されるようになっていった。そして文章がわかりやすくて読みやすいと言われるようにもなってきた。

要点を押さえた簡潔な文を書く訓練で気づいたこと

レポートは通常、レターサイズに1枚におさめるよう決められていた。少なくてラッキー!なんてことはない。書ききれないのだ。だらだら書いていたら、あっという間に数枚に及んでしまう。

この会社では、徹底的に文章の書き方を学んだ。必要なことだけを無駄なく伝えること。読み手が時間をかけずに内容を理解できるように書くこと。

このトレーニングが実は、日本語を書くときにも役立っている。レポートが書けるようになってわかったことは、今まで自分がいかに意味のない曖昧な言葉を使って、説明した気になっていたかということである。日本語は曖昧な表現を使っても、うまく文章を書いている気になれる言語なのか。それとも自分が日本語のネイティブだから、曖昧な表現もなんとなくわかっている気になれるのか(本当はわかっていないのに)。これは目の覚める気づきだった。

時間のプレッシャーが読む目をくれた

読むことも、毎日山のように英文を読んでいるうちに、日本語に訳しながら読むことはなくなった。いつのまにか、英語を英語のまま理解するようになっていた。これもそうしようと思ってしていたのではなく、そうしないといつまでたっても仕事が終わらず、家に帰れないからである。

まず読み書きが苦にならなくなってきた。

すばらしい組織風土の中での成長

しかし聞いたり話したりはまだまだだった。それでも自分に直接・密接に関係のある事柄ならば、なんとかコミュニケーションはとれるようになってきた。とにかくこの会社の外国の人は、我慢強く相手をしてくれた。今から考えると、本当にありがたいことだ。多国籍の人々が集まり、第2言語でコミュニケートするしかない環境下で働かねばならないために出来上がった風土かもしれない。

そして私は寝ているときにも、英語の夢をみるようになってきた。自分の周りみんなが英語で話していて、私は必死で言いたいことを伝えている夢。部署が異動になって数年が経ったころの私だった。

次回は会社にも慣れて、楽しくなってきたというお話です。お楽しみに。

次回の英語アレルギーだったの第7話はlinkさよなら英語です。