聖書の世界を垣間見た

今朝、目が覚めたら朝7時でびっくりしたわれもこです^^; 5時に目覚ましセットしてるのに、全く目覚めないなんて初めてのこと。目覚ましの前に目覚めることはしばしばあるのに。これはいったいどうしたことでしょう。お疲れかな・・・。

今日はひさびさに和書のご紹介をします。

『英語で読む 罪と悪の聖書』

ちょっと前に購入した『英語で読む 罪と悪の聖書』。洋書を読めるようになってから、ずっと感じていたことがあります。それはキリスト教文化について知りたい、ということ。キリスト教について、ほとんど何も知らない、他の何かの宗教に詳しいことも、信仰していることもない。

そんな私ですから、洋書(絵本でも)を読んでたり、洋画を見たりしていると、時々聖書からの引用かなって思うところを見つけるのですが、その意味するところがよく解らない。だいたいこんな感じ?となることもありますが、深く理解できているわけではありません。

キリスト教のことを知りたいと思って、いきなり聖書を読んでも挫折することは目に見えているし・・・。手ごろないい本がないかな~と、何となく何年もやり過ごしていましたら、ちょうど巡り会ったこの本。

手が空いたときにちょこちょこ読んでいました。この1冊でキリスト教のすべてがわかることはありません。でも、知らなかったいろんなことを知りました。そして新聞の見出し、ニュースの見出しにも、聖書から引用された言葉が結構あるんだな、ということもわかりました。

この1冊は、ざっとおおざっぱに創世記からイエスキリストのところまで書かれていました宗教については全くの無知な私でも、よくわかる内容でした。キリスト教の基本的な考え方について、大まかに把握できました。深く理解できたかといえば、できていません。「なんでそう考えるのかな?」と不思議に思う部分が多々ありましたから。

私の考え方とは全く異なっていたので、余計に「なんで?」が多かったのでしょうね。もののとらえ方、考え方にそれほどの大きな「違い」があることがはっきりとわかりました。これをいつも念頭に置いているだけでも、かなりコミュニケーションに役立つと思います。

目的は、「英語をもっと深く理解するために、キリスト教の考え方を知る」ことだったのですが、その目的はある程度果たすことができました。

この本を読んで、驚いたことは「神、生命、死、信仰心、罪、赦し

これらの意味や扱いです。

当たり前のことですが、私が今持っているこれらの言葉の意味・扱いと、キリスト教のそれらとは全く違います。それを知ることができて、よかったです。

私はどれが正しいということは問題ではないと考えています。私は私の信じることを信じるだけです。正しいから信じているのではなく、そう信じることが自分を活かすことができるから信じているのです。どれが正しいかなんて、だれにも分からないし、どれが正しいかを知ったところで、別に何の意味もないと思っています。

正しいものを知ることよりも、どんな行動をとり、どんな気持ちで生き、どんな言葉を使うかのほうが大事だと考えています。

<違った考えかたでもいいじゃない。みんなが愉快に幸せに生きていくために、みんなで力を合わせられたらいいのにな、と思います。

ちなみにこの本のタイトルに「英語で読む」とあり、もしかして英語の勉強になるかな~なんて考える人、いますかね?あまりならないと思いますよ^^それだったら、普通に洋書読んでる方がいいみたい^-^