見える学力、見えない学力
本のタイトルは『改訂版 見える学力、見えない学力』。書道の先生に教えていただいた本です。どんな育児書よりもこれ。といって教えてくれました。
著者は小学校の先生です。出版されたのが1981年と古く、1996年3月に改訂版が出て、なんと1996年4月で55刷発行です。
学校の先生、しかもベテランの先生がお書きになっただけあって、現代のお母さんにとっては少々古臭さを感じる部分がちらちらあるかと思われます。しかし著者の言いたいことは、時代を超えて今も変わらず的を得ているのだと感じました。そして専門家らしい分析的な理屈。
ところどころ、面白い表現がありました。低学力児の表現について、「何もそこまで言わなくたって・・・(笑)」と思ったのです。でも先を読んでいくと、そういう低学力児に対する著者の深い愛情も伝わってくる気がしました。低学力になっていくのはどうしてなのか。そしてその子の救済方法。勉強時間を伸ばしたり、無理やり勉強させても全く効果はなく、むしろ勉強嫌いになり、救いようがなくなってしまう。身につかない勉強をした時間ほど無駄なことはないって言い切っておられました。それなら遊んだほうがマシどころか、全然いいってことですね。ただしゲームとかはダメ。
最後の最後に、先生の心からの言葉が書き綴られていて、感動しました。
馬鹿な子なんていない。
ダメな子なんていない。
大人は子どもをきちんと評価してあげて、その子が体も心もすくすくと伸びていけるようにしてあげたいものだと思いました。目先の都合で子どもに安易な言葉を投げたりしない。そういう気持ちになりました。子どもの可能性の芽を摘んだりしないようにしたいです。
ぽこちゃんの無限の可能性に、ときめくわれもこです。
著者は「勉強は苦役ではない」と言っています。私も同じ意見です。知らないことを知る楽しさ。勉強とは本来そうでなくてはいけないと思うのです。
これは子どもに限ったことではなく、大人にも言えることです。
たとえば私は英語の本をよく読んでいます。それが英語の力になっています。そういう私を見て、時々言われることがあります。「努力しているのですね」と。そして「自分はそんな努力はできない」と。
でも私、努力なんて全然していません。楽しいからしているだけです。楽しくないことだったら、もうとうの昔にやめてしまっています。
自分では英語の「勉強」なんて思っていません。英語ということで言えば、言語というものはそもそも勉強してできるようになるものではないとすら思っています。言語はコミュニケーションツールですから、利用できなければ、できないのと同じ。いくら試験でいい点とったって、意味ないです。
勉強、というか、自分の知らないことを知るっていうのは、本来苦しいことではなく、喜びなんだって思ったりして。子どもは特に頭も柔らかくて、興味津々の生き物だから、どんどん吸収するのでしょうね。
楽しみです。